マグカップのなかの宇宙
「そんなの、宇宙から見たらどうでもいいことでしょ?」それが彼女の口ぐせだった。
僕がいつものように酒に呑まれた日のこと。どうしてあんなに酔っ払ってしまったのかはもう忘れた。きっと、なにか悲しいこととか、辛いこととかがあったのかもしれない。同僚といつもの居酒屋に飲みに来て、中ジョッキ三杯でフラフラしながら辿りついたトイレで、僕は彼女に出会った。
彼女は、白いワンピースに黒髪ロングでトイレにかぶさって、リアル貞子みたいだった。鍵がかかっていない男女共用トイレでその光景を見たとき、血の気が引くと同時に冷や汗が出たおかげで、摂取しすぎたアルコールが身体から蒸発していくのが分かった。
「あの、大丈夫ですか?」
声を掛け、重たそうに頭をあげて振り向いた彼女のことを、僕はきっと一生忘れないだろう。彼女は僕ランキングの初登場第一位を見事に獲得した。「あたしを家までよろしく。」そう言い残して完全に寝てしまった貞子さん(仮)を目の前に、僕はうろたえ、混乱し、そして結局律儀に家まで送り届けたのは言うまでもない。なにしろ、第一位なのだ。
その飲み会から数日後、「あたしの家に見知らぬ人のメルアドが書かれたメモが落ちていたんだけど、あなたはだれですか?」とメールが来た。後から聞いた話ではそのときのことを全く覚えていないらしい。どうやって家まで帰ってきたと思ってるんだ!
そこから僕たちの関係は始まった。
彼女のことを貞子だと思ったのは、そのときが最初で最後だ。貞子で第一位だった彼女の第一印象は、殿堂入り第一位に変わった。あのトイレでの話をするたび、彼女は「いいじゃない、過去のことは。そんなことね、宇宙から見たらどうでもいいんだからね!」と言う。
トイレの一室と広く広大な宇宙を比べたら、確かにどうでもいいことなのかもしれない。でも、僕と彼女の出会いは、宇宙の端っこで起こった隕石かなにかの衝突と同じくらいに、僕にとって衝撃的な出来事だった。その衝撃の余波が、彼女に会うたびに、彼女を知るたびに、今でも静かにやってくる。
トイレで寝ちゃうほど酔っ払うくせに、彼女は穏やかでいてしっかりとした芯を持っているひとだった。(酔っ払いと性格は関係ないでしょ!と彼女が投げたクッションが僕目がけて飛んでくる。)
彼女は僕のことを「コーヒーみたい」と言い、僕は彼女のことを「牛乳みたい」と言った。合わせたらコーヒー牛乳、カフェオレとかおしゃれな飲みものではなく、コーヒー牛乳が似合う僕たちだった。コーヒーと牛乳をマグカップに入れて混ぜるように、宇宙のうずまきも自分たちが作っているような気がした。マグカップの小宇宙は彼女によってあっけなく飲み干され、僕たちが抱える悩みだとか悲しみだとかは、彼女に宇宙の一部にされてしまう。そんな彼女を、僕は宇宙よりもでかいよなあ、と思う。
彼女がほんとうは宇宙の生まれなんじゃないか、と思い始めた頃、僕らの間に君の命が宿った。「宇宙の生まれ」に彼女はすかさず突っ込んできた。
「宇宙からみたら地球人だって宇宙人なんだから!そもそも、宇宙人と地球人を並べて使うのが間違ってるの。宇宙人の中に地球人も含まれてるの。そうでしょ?」
君のお母さんは、地球人ではあるけど想像力と心の器は宇宙並み。僕はそれを言いたかっただけなんだけど。それを言うと、彼女は僕のことを「加糖コーヒーになったね。」と言う。甘いのか・・・なにが?
君が僕たちの間に加わったことで、僕たちは甘さが加わって名実ともにコーヒー牛乳に近づいた。
君はいつか知ることになるだろうか。宇宙の中心は僕たちが作っていることを。甘くて苦いコーヒー牛乳から君が生まれたことを。
いつか教えてあげたい。その時が来るまで僕は、僕たちが住んでる宇宙ごと、君と彼女を愛する任務に就くことにする。
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2013年に書いた短編です。
このときよりもずっと前から、宇宙人は何者なのか、とか、そういうことばかり考えていたようです。笑
重たい恋愛小説よりも、さらっとしたさわり心地が好みだったので、そんな感じです。意味なしジョーク的な会話が大好きなのも、変わらず…
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