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わたしが地元青森でリモートを決めた理由

3月に勤めていた会社を辞め、4月から青森市在住のままフリーランスのライターになりました。

青森でライターを名乗って仕事している人はなかなかいません。
おそらくライターの仕事だけでごはんを食べている青森県民は、県外からのお仕事をメインにいただいているか、官公庁からお仕事をいただいているか、扶養の範囲内で働いているのではないかと思います。それくらい、ライターとして青森県で生きていくことは難しく、ライター同士のつながりもなかなか希薄であるのが現状です。

それではなぜ、わたしが青森県に居ながらライターをしようと決めたのか。
あとで自分で読み返すためにも、考えていたことをまとめようと思います。


1.家族と離れたくなかった&暑いところが苦手

わたしは青森県出身なので、青森に家族全員がいます。うちの家族はとても仲がよく、大学を卒業して青森に戻ってきてからは、家族の存在はさらに一層大切なものになりました。家に誰かがいる、という感覚がこれほど温かいものだと気付いたのが遅かったな、と思っています。お嫁に行くまでは、家に居たいです。(親がどう思っているかは別として・・・)

また、大学時代筑波での夏が暑すぎて耐えられずにバテまくった経験から、海が近くにあって夏でも涼しい場所でないと仕事ができないのではという恐怖がありました。
実際そう思い込んでいるだけかもしれないけれど、自分の体質に合った環境を選んだのかな、と思っています。心的に一番ストレスがない場所を選んだとも言えます。(わたしは海が近くにあると、とても心が安らぎます。しんどいとき、海を見たくなるのです。人魚姫か…笑)

2.今一緒に仕事したい人との時間を大切にしたいと思った

わたしには青森で一緒に仕事がしたいと思える人がいます。みなさん人生の先輩であり、仕事仲間であり、大好きな人たちです。この人たちがいなければ、わたしは青森にこだわらなかったかもしれません。一緒に仕事がしたいと思える人がいること自体とてもとてもありがたいことだし、この人たちとの縁を大切にしたいと思っています。必要に応じてチームを組める、この環境はとても捨てがたいものです。

家族にも当てはまりますが、自分の人生の時間をどんな人たちとともに重ねたいかと考えたときに、自分が尊敬できる人、一緒にいたいと思える人と過ごしたいと思いました。

例えば、相手があと30年生きるとして、1週間に1回(1回あたり5時間)会う人が居たとしたら、

365day÷7week=52week
52week×5hour=260hour
260hour×30year=7800hour

その人とはあと7800時間しか一緒に居られないのです。
日数に直すと、

7800hour÷24hour=325day

325日。ということは、1年365日よりも短いのです。

こうやって考えると思っていたよりも現実はずっとずっと時間がなくて、自分ひとりで過ごす時間よりも、今誰かと共有できる時間を大切にしなきゃと思いました。

いつかは誰もがお一人様なので、そのときにひとりの時間を大切にできればいいかな、と思っています。

(わたしは一人が好きなので、本当は一人で部屋にこもってずっと本を読んでいる時間などが一番至福で贅沢な時間だと思っていますが、人に会って会話したり、だれかと一緒に過ごす時間を楽しむことを、今はちょっと増やしている、という程度です)

3.青森の広報・PRに対する意識を変えたい

冒頭に書いたように、青森でライターの仕事をしている人の絶対数はとても少ないです。青森には独自メディアがほとんどありませんし(フリーペーパーやweb媒体も青森で作っているものは数えるほどしかない)ましてや出版社もありません。

ライターはことばをつむぐ人のことを言いますが、メディアに限らず、コピーや説明書きを考えたりすることもライターの仕事です。しかし、ライターに限らず情報発信に携わる仕事が少ないです。
例えば紙媒体に関して言うと、エディトリアル、デザイン、写真撮影…青森に住んでいると、これらの仕事を全部込み込みで印刷業者が請け負ったりしています。もしくはデザイナーが全て素材をそろえるところからやっていたり。しかも編集構成のブレーンにお金を払うという概念もありません。技術や知恵を持っている人たちが善意の搾取をされている場面を日常茶飯事で見かけます。

結局PRや広報にお金をかけられない、お金をかけるものだと思っていないために、どんなに美味しいものでもパッケージがイマイチで売れていなかったり、「なんだそのダサいネーミングは!」と思うような商品ばかり量産され、生産者側の意図が伝わらない商品に仕上がってしまったり。広報がうまくいかないことで悪循環を生み出しています。

わたしは、それをやめにしたいのです。
青森にはいいものがたくさんあると思っているからこそ、たくさんの人に知ってほしいし、売り出し方を躓いてしまっているからといって失敗したと思ってほしくはないのです。

青森をPRする媒体や発信源はつくろうと思えばいくらでもつくれると思いますが、既存の媒体に頼ってもいいと思います。だけど、発信する側の商品に対する熱意や想いはしっかりと生産者に寄り添って届けたいと思うし、生産者と消費者の橋渡しができるのは、地元に居るクリエイターではないのかな、と思うのです。

青森に居ながらライターをすることで、わたしは「想いを伝える」ことの一端を担いたいと思っています。(いずれ必ず独自メディアも作りたいです。)
そして、クリエイターの価値、広報・PRの価値、生産者の価値、この場所の価値を高めていきたいのです。

4.リモートで生きていくロールモデルになりたい

3に書いたことは、今後自分発信でやりたいことです。
実際、PRや広報にお金をかけられるようになるには、官公庁や企業の予算見直しから働きかけなければならず、企業ブランディングやコンサルに携わるスキルが必要になると思っています。そこまでするには、今はまだ自分の力だけでは難しいな、というところなので、今はそのための知識を蓄えています。

まずは自分が生きていくためのお金を稼ぐために、やっぱり自分がやりたいことで対価を得たいと考えました。それこそ、自分の時間の使い方を考えたときに全く別なお仕事をしていたら、その時間に学べるはずだったことが学べないからです。仕事をしながら自分がやっていきたい分野について学び続けられる環境を整える必要があります。

今までなら、文章に携わるお仕事に就くには、東京の出版社や、新聞社などに勤めなければできなかったと思います。そのために県外へ行く人もたくさんいたと思います。でも今、情報発信は紙だけではありません。webの文章を書いたり、企業の宣伝のためのことばを考えたりという仕事は、パソコンとネット環境と考える頭があればできるお仕事になり、リモートでもたくさんあります。

リモートで仕事をする、仕事をいただくのはもちろん大変ですが、自分はここに居たい!という主張をしても許される世の中になってきたのではないのかな、と思っています。(フルリモートはまだまだかな、とも思います…)

リモートで負担になるのは、おそらくお仕事をいただく側よりも、お仕事を投げる側です。全力で相手の意図するところをキャッチして、しっかり期日までに与えられた任務を仕上げることができれば、仕事を依頼してよかったと思ってもらえるはず。きちんと結果を残してリモートへのハードルを下げ、後に続く若い人たちが、「やりたいこと」と「居たい場所」を天秤にかけることにならないように、「リモートでも生きていけるよ!」と伝えたいです。


1年のうち5ヶ月間雪に埋もれる街で、わたしにできることがありそうだ

青森市は、世界一の豪雪都市。11月~3月まで街が雪に埋もれ、暮らしていくためには肉体労働が欠かせません。そんな場所になぜ住むのかと思う人も多いでしょうし、それが嫌で県外へ出て行く人もたくさんいるでしょう。

でも、そんな厳しい環境でたくましく暮らしてきた人たちが、わたしには本当に楽しそうに生きているように見えるのです。

わたしがこの青森でできることは、この場所に暮らしている人たちが大切に培ってきた技術や知識や、育ててきたものにスポットを当てて、どんな想いで取り組んできたのかを伝えること、そして、リモートでも生きていけるということを証明することだと思っています。

場所に縛られず、生きたい場所でやりたいことができるって幸せです。
さあ、仕事がんばろう。


***

書いてみて、結局根底にあるのは、「自分らしく生きたい」という思いなのだと自覚。
今は青森の生産者さんに直接インタビューできるお仕事がないので、プロダクトや生産過程を紹介するようなお仕事がしたいなあ…。

★さいごまで読んでいただきありがとうございます。
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