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はじめての友達、冒険、そして別れ。物語のさいごは、すこし切ない。


小学生のとき、宿題で出された絵日記に、クラスの友達がいつも一緒に帰っている4人のことをかいてくれた。わたしも、その中に入っている。

しかし絵日記をのぞいてみると、私以外の友人たちの目は少女漫画のようにキラッキラに描かれているのに対し、私だけは「・・」←ちょうどこんな感じに中黒を二つ並べたように描かれていたのだ。

なぜ私の目だけこうなのか、と作者へ聞いてみると「だって、あなたいつもボーッとしているでしょう。」と言われた。私は「なるほど。」と思った。

これは私のこども時代を象徴するエピソードで、じぶんの小さい頃を思い出すたびに「自我ねーな」と思い、つまらん子どもだと呆れた。

かのこちゃんとマドレーヌ夫人 / 万城目学

つまらない子ども時代から十数年経って、すこしはおもしろくなったかもしれない私は、今、渋谷にあるベンチャー企業で働いている。

会社の企画で、12月は社員が「年末年始に読みたいおすすめの1作品」をアドベントカレンダーにのっとって、1日1人ずつ紹介していく。12月10日は、私の番だ。

私がこの冬に読みたい1冊は、万城目学さんの「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」。小学1年生のかのこちゃんと、かのこちゃんの家にいるとても気高いアカトラの猫・マドレーヌ夫人のおはなし。


ある日とつぜん「知恵が拓かれた」かのこちゃんは、入学した小学校で「刎頚(ふんけー)の友」となる”すずちゃん”と出会う。

マドレーヌ夫人はその名の通り”夫人”で、夫はかのこちゃんの家にもうずっと前から飼われている老犬・玄三郎である。

とくに大きな事件が起こるわけでもないけれど、6歳のかのこちゃんが小学校にあがってはじめて過ごした夏が、書かれている。


わたしは、じぶんの子どもの頃を自我や、意志をもたないつまらない子どもだと思っていた。

けれど、かのこちゃんを見ていると、ふつふつと小さい頃の思い出がよみがえってくる。

小1のときについつい帰りに寄り道をしてしまい、ひどく親を心配させてしまったこと。

夏休み前の、学校の机やロッカーの中身をぜんぶ持ち帰るときに、重すぎて泣きながら歩き、はじめて「途方に暮れる」という言葉の意味を理解したこと。

夏休み明けの教室では、自由研究でいちばんの注目の的になったひとがヒーローになれたこと。

きっと、こどもの頃に祭囃子をきいてワクワクが止まらなかったのは、今よりもずっと1年を長く感じていて、夏祭りを待ち遠しく思う時間が長かったからだなあ。と、かのこちゃんとすずちゃんがお祭りの屋台で千円札2枚で「豪遊」する様子を読んでいて思った。わたしの小さい頃と、まったく一緒だ。


ぜんぜんつまらなくないじゃないか。自分のこども時代をいとしく思うようになった。きっと色んなはじめてを経験して、そして今よりもずっと長く感じる1年のあいだに、ずいぶん大人になったんだなぁ。

やわやわと、やさしいもので揉まれるように心がすこしずつほどけていく。かのこちゃんと同じ6歳の頃の私と一緒に、1冊の本を読んでいる不思議な心地になっていた。


はじめての友達、冒険、そして別れ。物語のさいごは、すこし切ない。
6歳の心と同居しながら読む私は、最後の50ページをぐずぐずと泣きながらめくっていた。

「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」。物語の季節は夏だけれど、読み終わった後のあたたかな余韻は、寒い日の粒入りコンスープに匹敵する。猫の頭の匂いのような癒し効果もある。

この冬をすこしでもあったかたく乗り越えたいひとへ。
わたしのおすすめする #コルクおすすめ2016 の1冊です!

よい冬をお過ごしください!


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