仕事の「モヤモヤ」についての考察

「仕事でモヤモヤしたことある?」と聞かれて「よくぞ聞いてくれました、もう毎日!っていうか、3分に1回レベル」っていう人と「え、全然ない…何で急にそんな質問??」って言う人がいると思う。
私は断然前者。
別に、いじめられているわけでもない、ブラック企業なわけでもない。むしろ、いい人たちと働いていると思う。ただ、どうしても「モヤモヤ」してしまう。
その理由が分からなかったけど、今日少し分かっったことがあった。
それは、自分が思っている以上に「認めてほしい」と思っていること。
「認めてほしい」ってサラっと書いたけど、本音は「崇め奉られたい」レベルなんだと気づいてしまった。

「ひゃー!!!Meiさんの着眼点、すごい!!!」「なるほど…なんでいつもそんなに良いこと言うかな」「うーわ、もう脱帽だわ(←何に…)」「いやー、勉強になったというか、すごいわ、どうしたらそんなに素晴らしいことを分かりやすく瞬時に纏められるの?」…言語化したらバカみたいだけど、もしかしたらこんなふうに考えているのかもしれない。

褒めてほしいのではない。この気持ちを表現する言葉が見つからないけど、敢えて言うなら「歓迎してほしい」のだと思う。幼稚園の時、公園に行ったら既にもうみんなが遊んでいて、その輪に「入れて」って言って反応を待っている時のように、発言するたびにドキドキしているんだと思う。

「歓迎してもらえるかな」「この場にいていいのかな」「みんなの表情がいきなり変わっちゃわないかな」「次の遊びに移動する時、当たり前のように仲間として呼んでもらえるかな」「”わたしたち”って言葉を使ってもらえるかな」そう思ったときと変わってないんだろうな。

とりわけ仲間はずれにされたこともないのに、何でこんな気持ちが強いのか自分でもよくわからないけど、本気でそうやって社会人になってもドキドキしているんだと気づいた。

そんな自分だからこそ、まだ意味のある言葉をほとんど発することのできない娘が「あ!」とか「ま!」とか言った時は、全力で歓迎するようにしている。「仲間がここにいるよ」「この世界は優しいよ」「表現していいよ」と伝えたくて。。。

「私全然気にしない!仕事なんだし、遠慮せずに言いたいこと言うだけだよ!」って言う人は、本音では何を考えているんだろうなあ…自分と違いすぎて、気になる。いつも歓迎されているから、恐れがないのか。歓迎されないこともあると知っているから強いのか、本当は全然違うことを考えているのか。。。

心理的安全性とは言うけれど、安全性を作る要素ってそんなにシンプルなんだろうか。「不安」である状態を表現できる人が、言葉にできる人が一体どれだけ居るのだろうか。。

モヤモヤが言語化されて、ふわっと飛んで、柔らかいものになってそっと包んでくれる…そんな世界が実現できたらいいな。


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