視点を変えたら見えたこと
自分を変えたいと思って行動したら
慎重になりすぎて行動が起こせない。
失敗を恐れてチャレンジできない。
そんな自分が嫌で、頑張って勇気を出してみた話。
他の人には容易いことかもしれないけど、私にとっては勇気のいること。
勇気を出して、体験したら、
「自分もできるんだ」と自信を持つことができた。
人間、自分を変えたいと思う時ってある、、よね??
カナダに行ってみた
私が勇気をだしてやってみたこと。
それが、
「カナダでのホームステイ体験」🇨🇦
元々英語に興味があって。
昔から成績そんなに良くないけど、英語だけは通知表5段階中5しか取ったことがない👏
(↑これだけは自慢)
でも日本人特有の、日本人にありがちな、
「文法はできるけど、話せない」パターン。
それで大人になって、英会話教室に通って。
たいした英語力は残念ながら身についてないくせに、一丁前にいつしかホームステイをして自分の英語力を試したいと大それたことを心の隅で思ったりして。
でもそんな勇気もない。。
会社を辞める勇気も。。
働くのをやめて、ホームステイして、帰国後に就職できる保障なんてないし。
そんな時、ワーキングホリデーが30歳までと年齢制限があると知り、最後の歳でビザを申請した。
「行かないと後悔しそう」
って無性に思ったから。
結果的に3ヶ月で帰国することになったから、ワーホリのビザは不要だったんだが。。。
でもビザ取得をしたことで、「行かなければならない」と自分で自分の背中を押せたからまあいいとする。
まず、前提として、
私は日本にいても1人行動がとても苦手である。
それを見知らぬ土地、電車も地図もわからない、友達もいない。
だから少なくとも友達ができるまでは、1人で動かないといけない。
この1人行動は、日本でもチャレンジできたことではあるのだけど、基本周りを気にして行動してしまう私にとって、なぜかカナダでのチャレンジの方が容易だった。
ちなみになぜカナダを選んだ理由は、
・ワーホリ協定がある国のうち、英語圏
・ビザ取得できる人数やステップの簡単さ
・予算の関係
など総合的に判断した。
もっと自分を出していい
カナダに行って気づいたこと。
「もっと自分出していこー‼︎」
ってことだ。
自分を出していかないと。
お人好しでは負けてしまうのが、海外だ。
例としてカナダで英語スクールに通って実感した話を。
初日にスピーキングとライティングのテストがありレベル分けされた私は、文法の得点が良いだけで、5段階中、上から2番目に良いクラスになった。
授業はほぼ会話していくスタイル。
黒板はあまり使わない。
そして、日本の英会話スクールと違い、先生が1人1人当てて、話す機会をくれることはない。
そのため、ひな壇のお笑い芸人さんがテレビで爪跡を残すために、割り込んで話すような、、
自ら他人の会話を遮ったり、質問したりしないと、一言も発しないまま授業が終わってしまう。
そして、同じクラスの韓国、スペイン、アルゼンチンの日本人以外のクラスメイトは、英語の文法が間違っていようがガンガン英語を話している。
一方、私は「正しく文法を話さなきゃ」という意識が頭にあり、間違えることが恥ずかしいと思っていたし、それどころか消極的で人の会話を遮ることができない。。
すっかり自信をなくした私は、担任の先生に「下のレベルにクラスを変えて欲しい」と直談判した。
そうしたら、先生が、
「こうやって英語で交渉できているのだから、今のクラスでいい」
と、まさかの回答が返って来た。
「確かに。。クラスで授業で話せなかった英語。そんな英語で今、先生に交渉ができていた🥹」
英語に自信がなくて喋れないと思いこんだいたが、もちろんそれもあるけど、
「人の前で人を割り込んで話していくことが、そして人前で自分を出していくことが苦手だったんだ」と気付いた。
私はそこからクラスでガンガン英語を話していく。
間違えても恥ずかしさもなく、何かが吹っ切れたように。
英語力も先生に褒めてもらえたことで、自信がついたのかもしれない。
あとは、貧乏性だから「高い授業料を払ってるんだから、色々経験しないと勿体無い」の気持ちも出てきた笑
飛び込んでみたら、意外とできるしなんとかなるもんだ。
少数派が生きづらい日本
バンクーバーという土地柄、ヨーロッパ系から南米系、インド系、韓国系、中国系、と色々な人種が移住している。
カナダの英語圏の都市なので、日常生活では英語が共通語であるものの、当然ながら同じ人種間では母国語を話す。
生まれ育った文化や宗教も違う人同士が、一緒に働いたり、同じコミュニティにいる。
「色んな人がいて当たり前、みんな違って当たり前」精神がある。
多数派少数派の概念がないと言うか。
日本ってどこか多数派が強いというか、
少数派が生きづらい感じがありません⁇
(私だけ?)
幼い時から私はら「少数派に属する機会が多い」と自分で認識していた。
だからいつも多数派に憧れていた。
小さなことだけど、
・シルバニアファミリーではタヌキを選ぶ
(多数はウサギを選ぶ)
・身長が1人高い
(平気的身長になりたかった)
・友達4人組でみんな彼氏いる時に私だけいない
(タイミングの問題なだけだけど、いつも多数派に入れない)
・ディズニーキャラではキングルイが1番好き
(有名どころに行かない個性派)
あとはニュアンスは違うかもだけど、
・みんなが結婚した時。独身貴族だった
(平均的のアラサーで結婚したかった)
・周りが一人暮らししていたのに実家だった。
(これは私自身で動かなかった罪)
etc…
あと不謹慎で顰蹙をかうかもですが。
私は、コロナウィルスにも罹っていない。
もはや職場の人が、友達が全員、コロナになったというのに。
こればかりは少数派で良かったのだとは思うのだが、こういうところでも多数派にはなれない。
(ちなみに、私の家系は全員コロナになっていない。。。遺伝子の問題なのかな🧐)
なんかうまく言葉では言えないんだけど、とりあえず周りからは個性が強めに見られていたと思う。
「個性なんだ」と思い込もうとしても、「みんなと同じ」「平均的」と思われたい自分がいた。
だから、「多数派」や「平均的」という言葉の概念がない雰囲気のバンクーバーは、私にとって、とても居心地が良かった。
日本では浮いてる私が、馴染める環境というか。
それでもやっぱり日本に戻りたいと思った。
日本は好きだ。
少数派の生きづらい日本と分かっても、やっぱり生まれ育った日本は人が優しい。
ただ真面目すぎる🧐
(電車1分の遅延でも放送したりするよね)
私は周りの目を気にする性格だからこそ、勝手に自分が個性派だと思われているのでは?と思い込んでいたのもある。
でも、それはそれでいいかも?と思えた。
いまだ多数派に憧れているのはあるが(←結局)
以前よりも自分の存在を認めてあげようと思えるようになったのは、このホームステイのおかげである。
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