undying "ルッキズム"から来る希死念慮
麻倉瑞季さんと飯田エリカさんの写真展「undying」を観に行きました。
「undying」は「希死念慮」という意味だそうです。
これは瑞季さんの「死にたい」という気持ちをテーマにした写真展です。
私はこのテーマを聞いた時「実現して欲しい」という気持ちを込めて
初めてクラウドファンディングに投資しました。
今投資しなければ、二度と観られないと思ったからです。
私は10年選手のメンヘラで、常に希死念慮と隣り合わせで生きています。
大好きな飯田さんが、その「死にたみ」をどう表現するのか。
とても興味があり、飯田さんなら素敵なものにしてくれるという期待がありました。
(※死にたみを美化した作品にしてくれる、という事ではありません)
会場に着くと、すぐに「鏡」をモチーフにした作品が現れて
とてもインパクトがあるな、と衝撃を受けました。
死にたみ、ルッキズムを美化しない、でも作品としてしっかりと成立している。
「血」をイメージしたメイクもとても素敵でした。
その後でとても衝撃的な、だけど希死念慮を語る上ではこれは避けられない
「モチーフ」の作品がありました。
これは死にたみを美化してしまう可能性があるので伏せますが
私はとても好きだ、と思いました。
よくある「早くこうなりたい」という気持ちを具現化したらきっとこうなるのではないか。
そんな気がしました。
健全な人にこれを見せたら「なんか怖い」という感想が返ってきました。
人によってはそうだと思います。
でもこれも希死念慮を語る上でのパーツとしてはとてもわかりやすいと思います。
どのパーツにも「既視感」があるのは「自分も通ってきた感覚」があったからだと思います。
鏡はリストカット、これは入水。
誰もが一度は行ったことのある「死へと近づく儀式のようなもの」。
ルッキズムに関して人に問いかける展示がありました。
大半が瑞季さんの顔への賛辞で埋まってるんで
いや、そうじゃなくね?とは思ったんですけどw
私はルッキズムについて疎い面があるので
自分の物差しで醜悪なものはやはり〇スと言ってしまうし
可愛いものはやっぱり可愛い、と言ってしまう。
麻倉さんとお話した時も「可愛いなぁ」と見入ってしまったのですが
ご本人はこのルッキズムにとても苦しんでおられました。
鏡を見ないとご飯が食べられないというところまで私は苦しめられた事は無いけれど、地下アイドル時代は自分を認めて欲しくてなったのに
美醜でカテゴライズされ、太っていた容姿を毎回蔑まれてきたので
一番死にたかったのは人に見られていた時だったかもしれません。
今日は麻倉さんと色々なお話がしてみたい、と思ったので
色々なお話をさせて頂きました。
とても素敵な方だったので、またこういったお話が出来る機会があればいいなと思いました。
飯田さんもお元気そうで、本当に安心しました。
いつも飯田さんは私に元気をくれる存在です。
今回は「奇麗にならないように気を付けた」とおっしゃっていました。
それはそうだよな。と思いつつ
やはり作品として成立させるには匙加減が必要だと思いました。
その絶妙な匙加減がやはり飯田さんにしか出来ないんだなと。
そして、色々な女の子の「死」の表現を撮ってきた飯田さんは
「自分が自分では生きにくい世の中になってしまったね」
という話をしました。
今私が居るVtuber界隈では「メンヘラがバズる」みたいな現象が起きていると思っていて
昔言っていた「ファッションでメンヘラをする」という行為が
「メンヘラがファッションの様な行為をしている」にすり替わっている気がしてなりません。
OD、リスカ、アムカ、麻薬の搾りかすで出来たクッキー。
簡単に手に入るし公開すればバズる。
そういうメンヘラムーブをすれば構って貰える。
そういう歪んだ風潮の中に居て、どれだけ正確な情報を発信できるか。
私は今そういう動画も発信していきたいと思っています。
最初に載せたのはこちらです。
伸びなくても良いから、届いてほしい。
その一心で切り取りました。
引かれない程度に、こういう情報も発信していきたいです。
久しぶりに飯田さんの作品を見て、また「生きよう」と思いました。
麻倉さん、飯田さん、ありがとうございました。