これがきみの人生だよ|2021年9月28日の日記
寝坊した!!!!!!!
日記をあげたあと朝5時前にベッドに入って、アラームを設定するまえに寝落ちしたらしい。目がさめた瞬間に、経過した時間とつりあわないはずの「しっかり寝た感」があったので、時刻を確認するまでもなく寝坊だとわかった。
時計を見ると、13時45分だった。
ア~~~これはだめですね。わたし、社会人7年めなんだが。
始業は10時半だ。会社からなんども電話がきていた。マナーモードすら解除せずに寝ていたらしい。とうぜんチャットやメールもあって、(文面上は)心配されているのでなお心苦しい。体調の心配までされていて申しわけない。ほかにどうしようもないので正直に「寝坊しました」と伝え、午前半休をとることにして15時から仕事をした。
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きょうも仕事をしながらいろいろ流していた。
音声放送、100回を目前にしてついにおたよりが読まれた。歴史的な回だ!
最後の数分でおたよりの話題にふれた以外はいつもどおりだった。車の運転はこわすぎる、わかる。わたしも10年以上まえに免許をとって以来いちども運転をしていない。
カプリティオラジオ、あがっているぶん(#14まで)ぜんぶ聞いた。
最終更新が去年10月だけど、これで終わりという話はなかったな(むしろまだまだつづく感じだった)。どこかでちらっと聞いた気がするが、雑談メインのメンバーシップ限定動画に役割が移ったのかもしれない。また全体むけにもあげてくれないかな~。総じてちょうどよくゆるくて、でも内容があって、好きな雰囲気だった。短いしもう一周くらいしようかな。
旅のラジオの先週更新分、おもしろかった!
Twitterで見て知っていたけど、各回にサムネが設定されて動画一覧がにぎやかになっていた。今回のサムネの右の写真はどこだろう。キリル文字?
今回は「旅情」のはなし。内田百閒、読んだことないなあ。DPZ編集部の石川さんもふくめた3人の会話がとてもおもしろいのでまあとにかくラジオを聞いてよ、という感じではあるのだけど、いくつか連想したことをメモしておく。
ちょうどきのう、過去の日記を意味もなく読みかえしていて、池澤夏樹の紀行文『明るい旅情』のことを思い出した。
当時の日記に書いていて、いまも記憶に残っているのは、やはり本書の冒頭におかれている「汽車と、世界の本当の広さについて」。今回のラジオの話題「移動手段と旅情」に通じるところがある。たった7ページの短いエッセーなのでいま再読してみたが、やはりこの要素がぎっしりつまっていた。
たとえばリニアモーターカーには「未来」は感じても「旅情」は感じない。旅とはそのまま人生の意味だから、わたしたちは便利さや効率とひきかえに人生をどんどんうしなっていくのだとつくづく感じる。
(もっといろいろ書きたいけど時間が…………)
(汽車のイメージから、ケルアック『オン・ザ・ロード』(または『路上』)のこともぼんやりと思い出した。この小説では移動手段の大半は車だが、線路が印象的に描かれるところがある。でも具体的にどんなだったか忘れたな。ケルアック、3年半前に読んだときにはあまり響かなかったように思ったけど、こうして折にふれて思い出すからやっぱり読んでよかったんだろうな。)
後半で話題になったのは「におい」について。これ、DPZ石川さんの発想がめちゃくちゃよくてちょっと感動しちゃったな。いいパス。
世界をこんなにせまくしてしまったわたしたちにとって、においは現地性・現在性をしめす(もはや数すくない)重要な要素だ。聞きながら台湾の夜市をなつかしんだあとに思い出したのは、さいきん読んだ伊藤計劃『ハーモニー』にある郊外の市場の描写だった。そこには都市の「ユートピア」が消し去った人間のいとなみがあり、空気がいろんなにおいに満ちている。色彩と熱がある。五感を総動員するような場所が、人がほんとうに求める場所なのだと思う――そう思いたい。なにも感じない生はつまらない。
どこかに行きたい気持ちがつのる。日々家にいるだけで写真を撮ることがすくないので、日記の見出し画像には過去の写真をもってくることがある。国外では台湾(九份)、オアフ島(カイルア)、パリ(エッフェル塔の上)、モン・サン・ミシェル(城の上)など。ほかのひとからすればガイドブックで見る写真とおなじでも、わたしはこのときのことをよく思い出せる。陽のあたたかさ、体をつつむ空気。
インターネットのどこかで「おじさん構文」が話題になっているらしく、恐山が過去の創作をあげていた。読んでいなかったので読んだ。おもしろかった!……が、たしかに「こういうレビュアー」の文体としてはもうすこしブラッシュアップ(?)できる気がした。わたしは書けないけど。
へ~~~。ちなみに池澤夏樹の文は適当なところで体言止めにするとたまに似ることがある。
Discordで見て、「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeチャンネルを認知した。まったく知らなかったけど、見てみたらハマってしまいそうな興味のある分野だ。ひとまず紹介記事をななめ読みした。
おもしろそ~。もともとオモコロのファンのひとらしい。これ(↓)の無料部分も読んだ。
アカデミック系のチャンネルって見たことないな。いまだにYouTubeは、朝にラジオ体操を流すことと、オモコロとその関連のひとの動画・ラジオを再生すること、さいきんになってカプリティオの動画を見ることにしか使っていない。そもそもYouTubeの開拓をしていく意思がほとんどない。カプリティオの動画で出てきた「100万再生された動画」のYouTuber、ひとつも見たことなかったもんな。
アカデミック系のやつについては、動画で素人から学びを得ようとすな。話を聞くならプロにしろ。本を読め。自分の頭で考えろ。――といまは思っているが、ころっと手を出すかもしれない。「入り口としてとらえるぶんには」とか言いそう。
22時から「オモコロ原宿のごきげんスタミナ会議」第2回!
はじめての授業だった単発の「ちょっと未来の社会人は今と変わらず怠けてる」からかぞえると3回めの配信。今回の議題は「答えを出さない状態が答えってこともある!?」
キーワードは「ネガティブ・ケイパビリティ」。前回の授業配信後にこの用語を知り、帚木蓬生の著作を読んだとのこと。
小林秀雄と岡潔の対談をおさめた『人間の建設』と、両名の単著での記述にもふれていた。この対談本と、岡潔『春風夏雨』はわたしも読んだことがある(原宿さんがあげていたのは岡潔『春宵十話』だったけど、聞いたかぎりたぶん似た内容な気がする)。
「ネガティブ・ケイパビリティ」、わたしも知らなかった。不確実なものや未解決のものを受容する能力、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力のことらしい(Wikipedia)。こうみると、「ニーバーの祈り」か?という感じもするな。
神よ願わくばわたしに
変えることのできない物事を
受けいれる落ち着きと
変えることのできる物事を
変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵とを
さずけたまえ
カート・ヴォネガット・ジュニア『スローターハウス5』(伊藤典夫 訳、ハヤカワ文庫、p.86)
仕事のかたわらに聞いていたのであまり集中して考えられなかったのだけど、内容以前に原宿さんのテンションのやや高いのが気にかかった。前回の「板挟み」の話はすごくはこびが落ち着いていて、腹落ちして言葉にしているように感じたが、今回はすこし興奮が混じっていたようにみえた。(それがわるいとかではない。念のため。)
原宿さんは「ネガティブ・ケイパビリティ」というあたらしい考えかたをインストールしたことによって、これまでの知見や経験が再構成される過程にいるのではないだろうか。かたちのなかった思考、なんとかして自分で説明するしかなかった状況を(ある程度)体系立った思想のなかに組みこむことは一種のあやうさをはらむ、と自分の経験から思う。
ものすごくえらそうなことをいう感じになってしまっているし、本人にお伝えする気もないが、きょうの授業を聞きながらほんの一抹だけ不安をおぼえた。ネガティブ・ケイパビリティもふくめて「原宿さん自身の考え」だといえるところまでなじんでいけばいいのだと思うけど。
そういえば前回の授業は記事化されていた。サムネ画像がよすぎる。板挟みになるマンション理事長。
今回のも出るとうれしい。恐山のようにSchooにフィットさせようとしている印象はあまりないが、原宿さんの授業もどんどんスマートになっていっている。また次もあるのかな? テーマ設定もふくめてたのしみにしていよう。
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はやく寝るつもりだったのに4時半になってしまった。完全によくないサイクルだ……
きょうは書きたいことがいろいろあったからかなり散漫だな。まあ日記なんてそんなもんか。
書きながらよく自分のnoteへのリンクをはるけど、それはわたしが過去の自分と現在の自分をつなげることが好きなだけで、あなたを誘導したいわけではないです。(だれに咎められるわけでもないのに、なぜこんな言いわけがましいことを書いてしまうのだろう。)
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写真はパリ発ブリュッセル行きのThalys、タイトルは2018年6月作の短歌
はい、これがきみの人生だよ、と言うそれを受け取ることが人生?