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思い出す夏になる|2021年9月7日の日記

アンドレ・アシマン『君の名前で僕を呼んで』を読み終えた。

2018年10月末に買ってから積んでいた本。映画はその年の11月頭に観た。今年も夏らしいことはできそうにないと思い8月9日に読みはじめて、夏のあいだに読みきるつもりだったのにすっかり涼しくなってしまった。文庫本で300ページちょっとしかないのにかなり重厚だったな。8月半ばにすこし肌寒いくらいの時期があり、そのときは読む気になれなかったので手が止まっていたというのもここまでずれこんだ要因ではある。SFやミステリ以外の長編小説を読むのはひさしぶりで、こんなにつかれるものだったかと思っている。

そう、つかれた。あまりに表現でみちみちだったから。17歳の少年エリオの心情の細やかな、というかちょっと異様なほど詳細な描写は、逆説的に、どんなに言葉を尽くしても語りえないものについて書きあらわそうとしているように感じられた。

どうしようもなく惹かれているのにいざ顔をあわせるとなんでもないようなふりをしてしまう、むしろそっけない態度をとってしまう。相手の表情や言葉尻からあらゆることを読みとって一喜一憂する。近づいたかと思うと離れて、自分の不安と同じくらいの不安を相手にも抱かせる。自分の心身さえままならない。若さとはその「コントロールのできなさ」のことなのだろうか。

エリオとオリヴァーに類まれな知性があり、それを前提とした会話や独白が繰り広げられるのはよくある恋愛小説と一線を画しているところだ。時代背景には明るくないが、エリオたち家族やオリヴァーはあきらかにエリート層なのでそのあたりも人物造形に影響しているのだろう。

むだな部分のない小説だったと感じる一方で、その半分も読めなかったのだろうなと思う。第三部でシェイクスピアの引用がたくさんあったけどその意図もほとんどわからなかったし。詩人(みずからを「韻文作家」という)の演説も理解不能だった。

今日読んだ最終章(第四部 ゴーストスポット)では作中でかなりの時間が流れる。オリヴァーが表現した「パラレル」とエリオの止まった時間の対比が印象的で、胸が痛んだ。「最初からやり直せるなら?」なんて考えても苦しいだけなのに。

文庫本の帯には「青春の切なさを描いた感動作」とあるけど、そんなきれいなもんじゃなくないか。わたしはもっとどろっとした感覚を抱いた。帰宅の遅い彼が溺死したことを想像して、その遺体を浜辺で荼毘に伏す前に心臓をナイフで抉り出そう、そしてその心臓を大切に持っていよう、と決意しているようなやつだぞ(これはとある古典のオマージュ。“心の中の心”)。それともこのコピーにたいして斜に構えすぎなのか。


なんだかつまらなかったような書きかたになってしまったが、全体としてはもちろんおもしろかったし、すばらしいものとして呑みこめた部分もある。理想的な夏の美しさがつまっていた。たったひと夏が人生を変えてしまった、いや決めてしまったといえるような出会い、経験をどこかでもとめる気持ちはだれにでもあるだろう。




うっすら予告されていたオンラインイベントの概要が出た!!!!!

うれしすぎ〜〜〜〜〜〜〜

予定あけてたのしみにしていよう。



きょうも始業前に起きて、なんだかんだで定時すこしすぎから仕事をした。体調がわるい。あまり集中力が続かなかったが、やるべきことの8割くらいはできた。

定時に仕事を終えてごはんを食べて片づけ、本を読んだ。読み終わってから1時間くらいぼんやりしていた。強い小説だった、と感じる。


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写真:2018年10月にハワイに行ったときのもの。カイルアビーチ。はるか昔のことのようだ。


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