仕事納め・日記書き聞き|2021年12月28日の日記
日記を更新していなかった期間の長さをみるにつけ、日々のすぎる速さを感じる。
年末ですねえ。会社はあしたまでうごいているけどわたしはきょうで仕事納めをした。というか、きょうで終わりだと思いこんでいてあしたは予定をいれてしまったので急遽有休をとった。先週の後半くらいからもう仕事はかなりうすかったので問題はない。
まえの日記をあげてから2週間もたってしまい、なにから書こうかなやむな。毎日いろいろなことがある。更新が滞っているあいだにフォロワーが80人になった。なんで読んでくれるんですか? うれしいことですね。
きょうは始業連絡をしてからも起きあがる気力がわかなかったのでけっきょく午後から仕事をした。定時までにきりのいいところまで終わらなかったけどもういい。来年のわたしがなんとかしてくれるだろう。
きょうの動画、よかったな~
スープストック未経験だった3人が一瞬でめろめろになるの笑った。なんどか食べたことはあるけど知らないメニューも多かったな。常時30種類もあったっけ? ちいさめの店舗にしか行ったことがないからかもしれない。
調べてみたら基本的には週替わりで数種類が置かれているものらしい。中目黒店は特別なのね。無花果チャツネのキーマカレーがとくに気になる。活動圏内で食べられないかな~
ラッスンゴレライ、社内でまだ流行っているのすごい。リバイバルだから時間経過の概念が適用されないのかもしれない。
『SFマガジン』2021年6月号掲載の異常論文、倉数茂「樋口一葉の多声的エクリチュール――その方法と起源」を読んだ。
異常論文は論文の体をとったフィクションだから、その内容についてすべてが真ということはもちろんできないのだけど、ここに書かれていた樋口一葉の文体についての論述はこれまで考えたことのない領域だっただけにおもしろかった。
樋口一葉の小説は言文一致以前の、ようは文語体で書かれたもので、複数の視点からの発言(登場人物のせりふ、語り手の主観的な論評など)がその区別なくつらつらと並べて書かれることで独特のリズムが生まれる、らしい。
文語文と言文一致文のちがいについては、『にごりえ』の原文と現代語訳をそれぞれ引用し、比較してまとめた部分がわかりやすい。
こうして文語体の特徴について論じられているのを読んで、考えてみれば言文一致体でない文章はほとんど読んだことがないと気づいた。
たった100年くらい前のものでも「日本語」がいまとはかなりちがう姿をしていることには触れるたび新鮮におどろいてきたが、近代化・西洋化によって文章の構造も大きく変わったのだという考えには至らなかった。
Wikipediaでちらっと見ただけでも「そっか~~~!」となる。おもしろい。日本の歴史も文学もぜんぜん知らないな。
21時前、藤原さんが日記を書くスペースをしているのに気づいたので聞きはじめ、わたしもこの日記を書きはじめた。
柞刈湯葉もたまに「小説を書く音」というスペースをやっているけど、ひとがキーボードを打っているだけの音、たまになにかを飲んだり息をついたりする音、つまり生活音だけど、そういうものを聞いているのは心地よい。
まったくしゃべらないのかと思っていたらすこしお話もしてくれてうれしかった。落ち着いた話しかたをするひとが好きだ。きのうの日記にあげられていたはてな匿名ダイアリー、いくつかは読んだけどまだの記事もあるからお休み中に読もう。
おかげでスペースが終わるまでの1時間半くらいのあいだにここまで書けた。ふだんのスタートダッシュの遅さからすると驚異的なスピードだ。
もうすこし書きたいことがある気がするけどもう上げちゃえ。きょうはあとすこし本を読むか、きのう以前の日記を書くかする。