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利己と利他 ~HSPが見た、新たな境界線~

 久しぶりの投稿になります。皆様お元気にされていますか。
 夏からnoteを始めて、自分の考えを吐露する場所をいただけたことで少しずつ生活が前進し、最後の課題として残っていた、仕事に対するモチベーションupや仕事に意義を見い出すことが出来るようになりつつあるアラフォーです。😄

今回は、社会の中で生きていく上で、持っていると楽になれそうな(より自分の人生を生きられる)ものさしを見つけたように思うので、聞いていただきたいと思います。

それは・・・

「利他」と「利己」を両端に配するものさし

です!

 俗な表現をすれば、関わろうとしている他者や集団を対象に、「利他」や「利己」がそれぞれどれくらいを占めているか、という視点を持って関わるということになるかと思います。

 広辞苑第5版によると、「利他」の一般的な意味は「自分を犠牲にして他人に利益を与えるこ と。他人の幸福を願うこと」とされるそうです。対義語は「利己」であり、同じく広辞苑によれば「自分一人 だけの利益を計ること」と説明されるそうです。

 私自身、自分を善人とは思いませんし、両者を持ち合わせていると思っています。他者についてとやかく言える立場にはないとも思います。
 ただ社会生活を送る中で感じるのは、両極端、つまりほぼ利己的に生きている人と利他的に生きている人がいるということです。
利己の程度が行き過ぎている人と居ると、完全に吸い取られて終わります(恐らく向こうに罪悪感は1mmもなく、当然の権利のように思っているようです。これはある種の人格障害と関係しているように思いますが・・・)。
一方利他の程度が行きすぎている人、解釈としてはご自身の意図しない何らかの力により利他的であることが当たり前になっている人?と居るとこちらが吸い取っていないか心配になります。「せめて天然記念物の保全に努める一保全員で居させてください」と願うことになったりします笑。
 利他と見せかけて利己、とかもあり、ややこしいですよね。

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 私はこれまでに、自分にとって居場所のように思っていた(思い込んでいた)上司の隣に、ある日(あることをきっかけに)立てなくなった経験があります。それは今振り返れば100%の利己主義をその人の中に感じたからではなかったか、と思います。(上司に利己主義とか使うな、という批判は甘受致します。)そして、結局そのコミュニティは皆利己主義という言葉がぴったりくる集合体であったようにも思うのです。類は友を呼ぶ、と言いますか。

 批判をしたいわけではありません。ただ100%利己的だと感じる世界から距離を取ろうとすることを、恐れなくて良いと思うのです。

こんなものさしを懐にしたためて生きても、良いのではないでしょうか。

どなたかの心に届いたら嬉しいです。

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