ライターになりました。
日本とマレーシアで営業を6年した後、ライターになった。30歳を前に大きなキャリア転換をしたことになるけれど、今回はそこに至った経緯を残しておこうかと。
一言でいえば、もともと興味のある仕事で、転職を考えていた時に求人を目にして応募したところ、スルスルと選考に通ってしまった、というところなのだが、そこに行きつくまでには営業を離れることの葛藤、興味はあっても経験はない職種への不安があった。結果的には、興味のあることを一度仕事にしてみようと腹をくくったのだけれど。
営業を離れることの葛藤。営業はとにかく潰しが利く(と思っていた)。どこの会社にもある職種で求人数は多く、売り物は違えど、売上として数字を作っていくのはどこの会社も同じ。営業を経験しておけば、”なんとなく”どこでもやっていけそうな気がしていた。そして新卒から2社で営業を経験し、営業としては一人前になった時点でのキャリア転換。「勿体ないのかな…」と思った。
けど、もう一人の自分は「本当に営業がしたいの?」と言っている。そもそも自分が営業職に就いたのは、新卒採用で営業部に配属されたから。新卒当時は、社会人の基礎を作るうえで営業は役に立つと思っていたけど、既に営業6年目。やり切った感覚はなかったけど、一通りは経験を積み、そろそろ社会人としては十分に一人前だと感じていた。営業に就いた目的は達成していた。
営業が嫌いなわけではないし、不向きなことは6年も続けられないだろう。続けられたということは適正はあったと思う。ただ、数字を作ることに夢中になれなかった。社内外の人を動かして獲得した案件を着地させることは好きだけど、売上を伸ばすことには夢中になれなかった。売上が付いてきたら勿論嬉しいけど、売上に向かって無我夢中にはなれなかった。その時、「これって営業として致命的かも」と感じた。
築いてきた6年を考えると、営業を離れる葛藤はあったが、売上に夢中になれないと気がついた時、そろそろ次に進もうと心が決まった。
じゃあ、どうしてライターになったのか。扱う題材と書くことに興味があったから、これに尽きる。正確にいうと、求人をきっかけに自分の興味関心を取り戻した感覚だ。”営業じゃない何か”を探していた時に興味のあることを目の前に提示された、やってみようと思った。
興味は過去の自分が物語っていた。昔から好きな科目は英語と社会、大学では国際関係を専攻。書く方は少々説得力に欠けるが、小中高と作文の時間を苦と思ったことはなかった、むしろ楽しかった。隣の子が作文用紙を埋めるのに苦労していても、すいすいと5枚、10枚と書けている自分がいた。20歳の頃から、日々感じたことをノートに書き留めていて、友達に話すよりも、気持ちを書きだすことが好きだった。だから、書くことは好きなんだろうなと思っていた。
ライターは、まさに好きが合わさったもの。漠然とした言葉だけど、”興味”があったのだ。
未知への不安はあったけれど、転職を考えているタイミングで、求人をきっかけに興味を掘り起こされたのだ。興味のあるものが目の前に提示されたのに、今チャレンジしないでいつするんだろうと思った。選考の中で作文や筆記テストもあり、無事に合格。合格したということは、未経験でも何かしたらの要素が認められたと解釈し、オファーを受けた。
「本当は向いていなかったら?」そんな不安もよぎったが、やってみなければ分からない。今のチャンスを逃して、後々「やっていれば…」と後悔したり、「やっぱり書くことに興味がある」と言っても、それはやっていないから思うこと、言えること。興味や憧れは、一度実現させたらもう妄想の世界ではなく、現実になる。海外への憧ればかりが先行していた自分がマレーシアに来て、一度海外にいることを”普通”にして、「じゃあ本当に何がやりたいの?」と地に足着けて考えたプロセスに似ている。
3年後、5年後に同じ仕事をしているかは分からないけど、何かピンとくるものがあるなら、チャレンジしてみること。向いてなくて道を変えたとしても、やってみたから言えること、感じることがあるはず。やらずに言うのは、ある意味無責任。言うだけなら何でも言えるから。だから私もやってみた。まだ数カ月だけど、興味のあること、苦にならないことを仕事にするのは良いかもしれないと感じている。この続きはまた追々。