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どこに行っても自分はじぶん。
この街にきて、仕事を見つけて、働き始めて2年。季節感がないせいか、振返っても感慨深くなることは少なく、もう2年、まだ2年、どちらでもあるような時間。
日本にある物・ない物、日本の良いろころ・苦手なところ、色んなものを比べては現状を嘆き、少し喜び、そんな事を繰り返した2年間。
そして、しっかりと土台のある人間関係を築くには日本だろうと海外だろうと、同じぐらいの時間が必要だと気が付くには、必要だった2年間。
仕事でもプライベートでも、取っ掛かりは日本人同士の方が馴染みやすい。同じ言葉を話して、互いを知るための定型文とも言える質問事項を投げかけ合い、この国に同じようなストレスや心地よさを見出して暮らしてる者同士、日本にいるよりも相手の心の敷居は確実に低い。というか、共通点が多い。
ただ、不思議なもので、仕事を通じて知り合う現地の同僚・顧客との関係は、日本で働いていた時のそれと似ている、というか同じだ。
日に日にコミュニケーションがスムーズになり、目を合わせた時の焦点が合うスピードが上がり、何人というよりも個人として認識し始めるタイミングがある。恐らく半年、1年、2年といったタイミングで定期的に訪れるもの。
語学を学んでいる時に、ある一定レベルに達すると今まで学んだ事がコップから溢れるように、コミュニケーションにも成果が溢れ出るタイミングがようだ。
成果が早く溢れ出る人もいれば、時間のかかる人もいる。私の場合は、日本だろうと海外だろうと、それは2年のようだ。何を成果と捉えるか、どのレベルを土台のある関係と捉えるかは人それぞれ。
グローバルに活躍したい、どこでも誰とでも働ける人になりたい、そんな壮大な憧れを持って挑んだ海外生活でも、仕事や生活の根になる人との関わり、コミュニケーションについては日本と何も変わらないらしい。
結局、どこに行っても自分はしぶん。頭は1つ。根っこの部分では考えることは同じ。2年経ち、自分の核になるものが腹に落とせた気がします。