余白が思考力を生む
唐突に文章を書きたくなったのでnoteに向かっています。
ここ半年ぐらいの自分を見つめなおすと、半年後、1年後と近い将来を考えている自分に気がつきました。それは仕事も子育ても、日々の生活に見通しが立ち、自分なりに腹落ちすることが増えてきたから。要するに「こんなもん」と納得でき、慣れてきたから。
元来、未来にワクワクしながら生きるのが大好きなのに、ここ2年ほどの私にそんな余裕はなし。里帰り出産の予定が本帰国になり、大好きだった仕事を泣く泣く辞め(本当に何度も泣いた)、出産直後から仕事を探し、産後5ヶ月で働き始めたら新しい仕事を覚えながらの夜泣き対応、日々の育児、家事と、実家に暮らしていたとはいえ毎日がハードワークでした。途中、謎の胃の気持ち悪さを覚えて内科を受診したものの、自分の状況を話せば話すほどストレスと疲れ以外に思い当たるふしがないような状況。
仕事で中長期的なキャリアプランを求められたり、夫からは「数年後には家を買いたい」「もう一人子どもが欲しい」なんて言葉が出てくるけれど、自分の頭のなかにそんな不要不急の事柄が入るスペースは皆無。仕事ではそれっぽい目標を話し、夫には「そうだね~」と頷くけれど、頭の中は「どうか今日も無事に寝付いてくれ」「夜中はミルクで落ち着いて寝てくれますように」「離乳食、多めに作り置きできてラッキー」「保育園のノート書いた、オムツの名前スタンプ押した」と、子どもに関する重要事項と確認事項で埋め尽くされる。
「決断は思考力を奪う」なんて言うけれど、本当にそうだと今なら分かる。毎日、子どもの動きを加味した小さな判断の連続で、脳と身体のエネルギーを使い果たしていた。今、今、今、、、見えているのは今で、見ようとして見えるのは半日後。1週間後、1か月後はだいぶ遠くの世界。昼ご飯も食べてないのに「夜ご飯どうする?」はキラーワードです。
そんな状況が入社から1年ほど続いた頃、仕事で「こうしてみたいな、今のままだと面白くない」とか「家を買うもの良いかな」とか「子ども増えたら超絶大変だけど、人生そんなフェーズもありか…?」と、少し先のことを想像して、前向きに捉えている自分に気がつきました。未来を考えてワクワクする、数年ぶりに自分らしくなった気がしました。
余白が思考力を生む。なんかそれっぽい事を言ってみたかったのですが、暇がないと将来のことは考えられない、毎日はただただ流されていくなと実感しました。けれど、仕事も子育ても新参者だった自分にはそれが当たり前で、そんな時に「先を見よ」と言われたって無理に決まっています。というか、子どもを中心にした世界で先を読もうとしてる、判断してる、行動してる、今までとは別の分野にリソースを注いでるから余裕がなくなっている、これも今だから分かります。
これからも仕事と育児をしていく自分には「無駄をそぎ落として、考えるスペース、新しいことする余力を生む働き方・暮らし方をしなきゃいかんぞ」と、新しい環境でもがいてる人には「出来ないんじゃなくて、新しい環境に適応・対応しようと必死なんだよ」と言いたい。いつかの備忘録として。