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のほほん人間の夢のはなし

こんにちは!打楽器奏者/Pocochaライバーのしほchan🐋🥁こと中野志保です

まずはこの記事を開いてくださって、ありがとうございます🙇
あまり言葉を書くのは得意ではありませんが、ゆるゆる書くのでちょっと気を抜いて読んでいってくださいね🍵

ここでは私の自己紹介と、Pocochaで叶えたい目標について書いていきます

自己紹介🐋🥁

誕生・幼少期🐋

1994年12月3日、静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)で教師の両親のもとに生まれました。

生まれた時の体重は約2200gとスーパー小柄!
保育器に入るか入らないかの瀬戸際でしたが「まぁ小さいけどかわいいから大丈夫でしょ」というお医者さんの言葉により母子共に退院しました。

小柄に生まれたが故に、たくさん食べさせなければと考えた父は、私に美味しいものをたくさん食べさせました。おかげでご飯が大好きです!

父が、幼稚園児だった私を連れて吉野家に入った時のこと。父は無精髭でラフな服を着て牛丼を食べにきていました。
父の牛丼を一口もらった私が「お父さん、私こんな美味しいもの食べたことない!」と店内で叫んだというエピソードは、いつまでも実家で語り継がれています。

幼稚園の1年間の通知欄には「マイペース」と書かれました。この先生の読みは当たっていた。大人になってもマイペースです✌️

出身が浜松だった縁もあり、2歳くらいからヤマハ音楽教室の四ツ池センターに通いはじめました。以降15歳までヤマハ音楽教室に通います。

これは2歳10ヶ月?大きくないか?

小・中・高校時代🐋

小学生になると父の「大きく育てよう計画」が実り、だいぶぽっちゃりしてきます
ダイエットを兼ね、お友達と一緒に地域のキッズダンスに通いはじめました
これが大成功!ダンス好きもぽっちゃりも(?)健在です

小学校高学年から部活がスタート!
4年生の時は運動部でしたが、一つ上の学年の先輩たちが荒れに荒れていたので5年生から金管バンド部に転部しました
途中からの入部だったのでマウスピースの練習ができず打楽器パートに!これが打楽器との最初の出会い🥁🥁🥁
この頃から地域の祭りのお囃子で大太鼓も叩いてました

中学校もそのまま吹奏楽部に入部して打楽器パートに!(第二希望はチューバでした)
ちょっと意地悪な先輩と出会い苦しみましたが、ひたすら練習!指導力のある先生のおかげでいろんな景色を見せてもらいました。

中学2年生、顧問は交代。部活はゆるゆる。私も若かったので、そのタイミングで反抗期爆発。
友達のお母さんに「しほちゃん、言葉遣い直した方がいいよ」と言われるまでかなり荒れていました。
ある日、部活に行くと「あなたマリンバ上手だから外部に習いにいったら?」と講師を紹介してくれました。今思えばこれが音楽人生のはじまりはじまり〜レッスンに通うことになりました🥁

今思えば、顧問は私の反抗心を矯正したくてレッスンを勧めたのでしょう😂
マリンバの先生はかなり厳しい先生でした。
レッスン中はもちろん、言葉遣い、メールの送り方、お金の渡し方、お電話の掛け方、服装etc...
毎週、文字通り泣きながらレッスンに通ってました。当時は本当に怖かった。でも大人になってから、先生のそのご指導がどれだけありがたいものだったかを知ります。今でもちょっぴり怖いけど、本当に感謝しています。

中学生2年生くらいまではピアノで音楽の道に進みたいなぁと思って、東京の音大の講習会に連れて行ってもらったりもしていました。が、そんな厳しい先生に出会ってしまったものだから、あれよあれよとマリンバで音大に進むことに!
より専門的な教育を受けるためにヤマハ音楽教室を卒業。この時までピアノを教えてくれていた先生は、今でも私の演奏会に来てくださる、とても温かい先生です。

高校に入ってからはソルフェージュのレッスン、マリンバのレッスン、合唱部と大忙しな毎日でした。
ソルフェージュとは…
音楽の基礎力。聴音(いわゆる耳コピ)と初見(楽譜を読んですぐに引く力)楽典(楽譜のルールの勉強)のこと
ドタバタな私を近くで見守ってくれていた友達には本当に感謝です💐

音大はどこもお金がかかります。一般家庭出身なので、なるべくお金をおさえて学校に通いたい。
努力の甲斐あり、希望通り特待生として学校から学費の支援をいただきながら昭和音楽大学に通うことが決まりました。ここまで支えてくれたマリンバの先生にも感謝です。

大学・大学院時代🐋

音大は厳しい競争社会。試験の結果もクラス分けに影響し、1年から4年までの間で下剋上は当たり前。みんな必死です。
それでもお互いに「一つのことに熱中する」同士、リスペクトを持って、仲良く過ごせるのは素敵なことだなと思います😊
朝昼夜と学食を食べ、朝から晩まで練習と授業を受ける日々。楽しかったなぁ

私も例外なくバイトをしながらの学生生活。もともと障がいのあるお友達がいたのをきっかけに、放課後等デイサービスで働きはじめました。
最初にバイトした株式会社の放課後等デイサービスは途中で倒産し、スタッフも解雇となりましたが、倒産するギリギリまで働いていたくらい楽しかったです。
その経験が今の仕事やこれからの夢にもつながっています。

4年生、教員免許は無事取得。音楽をしたいのか、就職するのか。悩んだ結果、自分のやりたい!の気持ちと周囲の後押しで大学院に特待生で進学。
マリンバがなぜ芸術音楽の楽器として認識されるようになったのか?をテーマに研究しながら練習も続けました。修士課程卒業!いよいよ社会に飛び出せのほほん人

現在🐋

大学院を出て6年経ちました。コロナあり笑ありその他諸々ありの6年間を経て現在の私のお仕事はというと、、、

①フリーランス音楽家
主に現代音楽や演劇、即興の場で活動しています。学校の鑑賞教室も担当しています。たまに作曲も。主な所属団体は下記URLから

http://phonix.nows.jp/shinitiueno/phonix/

②マリンバ・ピアノ・吹奏楽部講師
楽譜の読み方のレッスンから楽器の指導まで幅広く、音楽を楽しんでもらえる方法を伝えています。

③福祉従事者
障がいのある人の生活のお手伝いをしています。音楽に特化したプログラムでは、私がピアノの弾き歌いをして利用者さんに打楽器を叩いてもらい、一緒に音楽を楽しんでいます。

④Pocochaライバー
マリンバをもっと身近な存在にしたいという気持ち、そして夢を叶えたいという気持ちから、2024年5月11日、ライバーデビューしました。

目標の話🐋🥁

私が叶えたい目標は3つあります。

①目指せS帯!マリンバファンの増加
②フランスで音楽教育の勉強
③居場所になるアート教室の運営

①目指せS帯!マリンバファンの増加🐋

そもそもマリンバとは?

エリア51音楽演劇「冠婚葬祭」中のマリンバ

3mちかくある木琴です。
鍵盤にはホンジュラス・ローズウッドという貴重な木を使っています。
鍵盤を叩いた音が、共鳴管というパイプを通って増幅され、豊かに響きます。
プロの演奏家は2〜4本(たまに6本)ほどのマレットと呼ばれるバチを持って演奏します。

私が使っているのはYAMAHA社のYM6000というタイプの楽器。現在は廃盤になっていますが、深い響きが特徴の名品です。
正確な仕様は以下の通り。重さは107kg!Bigです。

ピアノほど流通していないマリンバ。ホールに備え付けがないことがほとんど。
基本的には自分の楽器を会場に運びます。(解体すると8人乗りの車に乗ります)
解体するのも重労働。毎回誰かに運転をお願いして楽器を運ぶ日々。

もっとフットワーク軽く、たくさんの人にこの楽器の魅力を伝えたい!!!!

この気持ちが配信を始めたきっかけです。
まずは音を楽しんでほしい。そしていつか生演奏を聴いてほしい!弾いてみてほしい!!

トップライバーになった先には、車の免許を取得し、リスナーさんのお住まいの地へ日本中マリンバ持って駆け巡る予定でいます。

そしてトップライバーのその先に、やりたいことがあと2つあります。

②フランスで音楽教育の勉強🐋

フランスで児童の打楽器教育について勉強したい。

わたしのマリンバの最年少生徒さんは6歳。小学1年生です。ピアノであればたくさんの子供の教材があるのに、マリンバはほぼゼロ!
子供のレッスンには、大人と同じように白黒のクールな教材を使うか、ピアノの教材を代用するか、あるいは自作するか。
この状況がどうにかならないかとフランスに住んでいる知人に相談したところ、フランスの先生が書いた子供のための教本を送ってくれました。

この教本を書いた先生、Catherine LENERT氏は子供から大人まで幅広いレッスンをし、フランス国内で数多くのプレイヤーを育てているとのこと。もちろんご自身もスーパープレイヤーとして活躍されています

この人に会いたい!フランスに行ってこの人に打楽器の指導方法を習いたい!
そして日本の打楽器教育教材を充実させたい!

これが2つ目の夢。ライバーランクがB帯になった今、やっとフランス語の勉強をする時間が確保できました。本当に感謝です。

そしてその先に

③居場所になるアート教室の運営🐋

これがわたしの最終目標です。

現代社会において、近年、仕事場・学校⇄家に加えてもう一つの居場所作りが注目されています。

第三の場所(サードプレイス)になり得るアート教室を運営したい。

私自身、現在もフリーランスの音楽家として不安定さを感じています。アーティストが自分の能力を生かしながら生活の安全を確保できる場所を作りたい。と思ったのがアート教室運営の夢のきっかけでした。

加えて、自分が関わってきた障がいのある人たちを含め、様々な世代、様々な生きづらさを抱えている人たちにとって温かい居場所を作りたい。

この2つの想いが「居場所になるアート教室運営」という夢を生み出しました。
もちろんわたしは打楽器の先生として。
実現が何年先になるのかはまだわかりませんが、定期的にワークショップを重ねたり、お金の勉強をしたりしながら少しずつこの目標に向かって進んでいきたいと思っています!

さいごに🐋🥁

ここまで読んでくださって本当にありがとうございました💐
この記事を書いた今日、2024年9月11日は配信を始めて4ヶ月目の記念日です!
ほぼ毎日の配信にいつも応援に来てくださる皆さん、本当にありがとうございます🙇

これからも、マリンバを楽しみながら夢に向かって背中を押してくれる仲間を大切にしていきたいです

2024.9.11 中野志保

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Shiho Nakano
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