【読書記録】『みちこさん英語をやりなおす』語学を習得するってなんだったのか再考した話。
ある日の占い。
「今日は急に予定が変更になるなど、ストップがかかるようなことが起きますが、空いた時間は本でも読みましょう。」
とありました。占いは超的中します!!!
レッスンへ向かう途中対面からオンラインへ変更、
帰宅後の打ち合わせキャンセル。
そのまま帰るのも寂しいので図書館に立ち寄ります。
ふと手にした本。
これが私の長年の悩みを代弁してくれることになるのです。
そもそも何で語順が違うのか。
私は何度も英語をやり直そうと試みています。
大学院受験のとき、卒業してから、海外公演や海外からのゲストとの本番の度に、本をめくったり、アプリをやったり。。。
でも結局読めても、話せるようにはなりません。
(酔っぱらっているとめちゃくちゃ話すので、朝になると全く話せない私にみんなWhy???となります (笑))
何が疑問なのか、去年トルコ語を再勉強する際に考えていました。トルコ語もさほど話せませんが、それでも耳に入りやすく、なんとなくでも話し始めると、みんなに直されながら、話し続けることが出来ます。
なぜだろう。答えは語順が一緒だからです。
日本語と韓国語とトルコ語は同じ言葉の並べかた。
じゃ、どこまで一緒なんだろうと気になって調べてみたのがこの論文。
《日本語はどんな言語か~類型論的観点からの日本語》
/郡司 隆男さん
表にあるようにトルコ語はかなり近い言語であるということがわかりました。(書いてあること全部分かったわけではないですが)
ではそもそも日本語ってなんだんな?という疑問が出てきてしまいました。
(いや、本当はきっと他にもやらなやきゃいけないことはあったはずですが、どうしてもそれを知らないとトルコ語に復帰できないきがしていたのです。)
そもそも日本語の文法ってなに?
学校の文法の授業では、どうしても納得できないことがありました。
それは「主語」の存在でした。
その時ちょうど、お役所に提出するようなお堅い文章を書いていて、先輩から文章の書き方について指摘されたことでした。
「未知子の文章は主語と述語が一致してない。」
その指摘が不満だったわけでは決してなく、ただ本質的に《日本語として正しい文法》という意味が分からなくなっていました。
そんなとき出逢ったのがこの本でした。
学校教育における分法は、古典文法を継承した形式的な分類。
外国人に教える日本語文法とは違うもの。
というのは衝撃でした。
学校では、つまり国語学としての文法を習っていたので、
中学生の私は、英語を最初にならったときの違和感がとても多く感じたという事のようです。
また一番の驚きは、主語についてでした。
日本語の中心となるものは、「述語」であり、主語はあまり重要でないという点です。このあと出てくる『みちこさん英語をやりなおす』にも出てきますが、英語は主語をいちいち言わないといけないですが、日本語は言わなくても会話は成り立ってしまいます。(無いと伝わらないときもありますが)
日本語は大きくわけると
「コト」と「ムード」の二つの層に分かれていて、コトの成分の中から1つが主題として提示され、残された部分は主題を説明する部分(解説)となっている。そう。つまり
日本語文の多くは、学校文法の「主題ー述語」の関係で無く、
「主題ー解説」となっている。
そっか。だから違和感だったのかと。
また、納得したのは
英語における「主語」は「主題」と「主格」が一体化している特別な存在。
日本語の「主題」は各成分であればどれでも「主題」になる。
とのことでした。日本語から英語の勉強に入ったときに、一生懸命主語はなんなのか考えたけど全然わからないまま、アンダーラインSと黒板を映す私。
そしてまた国語で品詞の問題集を丸暗記して100点を取ったけど意味が全く分かってなかった私。
分かったふりをして、丸暗記するのは得意な私。
日本語で使われる「主語」は英語の「主語」とは異なり、「主格」をあらわしている。
このことに気づけば、語学学習の入り口でつまづかなかったのかな。
この本は先にまだまだ先があり、色々な発見がありました。
それはまたの機会に。
述語が主語に命を吹き込む
それから一年経って、先週末冒頭の占いの通り、ふと図書館で手に取ったこの本。
この本はまさにアンサーでした。
40歳になり、もう一度英語を学びなおそうとするみちこさん。
学生時代や若いころの英会話教室でも、つい「わかったふり」をしてしまうみちこさん。
本当はずっと思っていた「なんで?」を深堀していくなかで、英語のおもしろさや仕組みだけでなく、日本語の美しさや面白さを再発見していきます。
そして何より漫画で読みやすい。
主語と述語から学んでいきます。
「述語が主語に命を吹き込むんですね」とみちこさんの
素敵な理解。この本は表現がいつも美しい。
言語学習とは、文化の違いを体感するもの
みちこさんは次に「語順」について疑問を持ちます。
英語は、とにかくスピーディーに伝えるための言語。
日本語はとりあえず口に出していけばなんとかなっていく言語。
英語は、簡潔にそして性格に伝えようとするから、「a pen」など、わざわざ一つのペンだよ!といったりする。日本語的にはわざわざだけど、英語かみたらそれは親切なのだと気づくのです。
日本語は語順ではなくすべての言葉が大切なので、選びながら話すことが出来る。それをみちこさんは「失敗できる言語」と表現していました。
外国語というのは、
本来、自分の種族には、
理解できない概念や、
存在しない感情、知らない世界の見方を
他の言語集団から学ぶことなんです。
『街角の文体論』内田樹 ミシマ社
本の中で引用されいる文章ですが、すっと入ってきました。
そっか。本来言語学習というのは、他の文化を体感するためのであって、
「違う」や「違和感」を楽しめるようになるといいのかもと
未知子は思いました。
「勉強が出来る人って小さいことには
立ち止まらないんですね、きっと」
「They」には彼ら以外にも、それらという意味があることに、みちこさんは疑問に思います。
人を指すことばと、ものを指すことばが一緒なんて失礼ではないかと。
日本人としては不思議に感じるけど、英語は「個数」を大切にしているから、数の方が大切なんだよと言われて納得します。
つまりみちこさんが知りたかったのは、「英語なりの考え」
であって、「人」を誤解したまま進みたくないという気持ちの表れだったのです。
私もよく小さな事につまづきます。
つまづいて、考えて、色んな人や本や色んな意見を聞いて、
いつも行きつくのは「自分なりの答え」であって、
みちこさんもそうであるように、私、未知子もそうなんだと思ったのです。
自分が納得するまで、考えたい。それでいいのだと。
ゆっくりだけど、それでも見えたときは早い。
必要なのは「知りたい」だけではなく、「分かりたい」と思うこと。
自分の身体から体感した分かったことを伝える手段にしたい
そんな気がしています。
楽譜を暗譜したら終わりじゃなくて、
この楽譜がどういう構造で、どんな時代背景があり、
どんな表現手段があって、そんな風に研究を重ねたうえで一つの曲をお客様の前で演奏することが出来ます。
プロの演奏家が、初見で新曲が弾けるのは、その音楽についての知識があるからであって、他のジャンルを西洋風の書き方で書かれて渡されても、棒読みみたいな弾き方になってしまうのと一緒で。
それを理論からやるか、体感からやるか、どちらもやるか、
学び方は人それぞれだし、対象にもよると思うのですが、
私はそれを両方得ないと、自分に自信が持てないし、納得したと思えないところがあります。
そういった自分を受け入れつつ、また他の文化を受け入れる広い心を持って、語学勉強に望めたらなと思っています。
私は不器用でスローペースですが、私なりの最短距離なのかもしれません。
誰かの何かの参考になれたら幸いです。
初夏から夏に学んだことの振り返りもまたnoteに書きますね。
今日はこれを踏まえて英会話+コーチング体験に行ってきました。
給付金、使ってしまうことになりますが、
コロナの影響で秋冬も8割仕事キャンセルの私ですが、
勉強をより加速させて、少しでも「世界のどこでも働ける環境つくり」
に向けた一歩を踏み出す足掛かりになればと思います。
「自分を変えるために英語を話すのではなくて、
英語は自分を伝えるための道具なんですよ。日本語と一緒です。」
作中、先生が学生時代の失敗談をもとに、
お話しするシーンで出てくる言葉。
苦手だと思っていた語学ですが、音楽も歴史や宗教の勉強も
デザインもライティングも、そして語学もすべて、
表現する幅を広げるために、学びたいと感じてるんだなと
思ったのでした。
みちこありがとう。
未知子頑張ります(⋈◍>◡<◍)。✧♡