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お隣の町家、なんと因果なことだろう

祖母の家に住むという自分の未来になかなか向き合うことができずに、ぐだぐだしていたときに、前に進まざるを得ない決定的なことが起きた。お隣の家が売りに出されるのだ。

お隣の家は、祖母の家の10年ほど後に建てられた家で(なので築90年くらい?)、三叉路のとんがった部分にあり、その前面の道は広場のように広くなっていて、ものすごくシンボリックな場所にある。まわりの空間にめちゃくちゃ影響がある場所だ。祖母の家と同じ白壁の大屋根で一回り小さいので、2軒合わせて兄弟みたいで気に入っていた。

以前から、私の父がお隣の家に声をかけてあったらしく、まず連絡が来たようだ。祖母がミシン部屋として使っていた奥の部屋とお隣の家の小さなお庭が面していて、祖母とお隣のおばあちゃんは、お互いに庭に向かって腰掛けてよくおしゃべりをしていた。庭は用水に面していて、とても気持ちが良さそうで、そしてちょっと秘密な感じがして、印象に残っている。

両親と仲介の不動産屋さんと、初めてお隣さんの家に入る。家財道具はすべて片付いていた。入り口側の部屋は、三叉路のカーブに合わせて不思議な曲線を描いていた。3面に窓があるので、昔の家なのにとても明るくて、曲線の効果も手伝って、不思議な家だった。祖母の家は、伝統的なプランで武士系住宅の王道!という感じ。隣の家は、平面の形や窓の多さから、小舟のような、軽やかで可愛らしい印象を受けた。

お隣の家。まず私たち一家に声をかけてくれたけれど、一体どうしたらよいのだろう。頭が真っ白になった。せっかくの可愛い建物。シンボリックだし、なんとか残せないだろうか。私は、仕事でまちづくりだったり空き家の活用だったりのお手伝いをしている。が、お手伝い止まりで自分自身が主体になることなんてなかったし、このことはずっと私のコンプレックスだった。そしていきなりものすごい案件が自分ごととして降りかかってきた。

不動産屋さんに聞いてみると、お隣の家はすぐに買い手がついて駐車場になるだろうと。このあたりは家がなくなっては駐車場になっている。一家に3台くらい車がある家や会社も多いから、駐車場の需要はものすごい高いのだ。うーん...とても素敵な建物だし、誰か興味を持ってはくれないだろか、知り合い何人かに聞いてみる。意外なことに、何人かの方からこんな人が興味ありそうと教えてくれたのは工芸作家さんたち。マンションやアパートでは作業できず、でも普通の一軒家はちょっとねーという感じらしい。土間をつくって作業場にしたい、という希望があるみたい。土間の方が改修費がだいぶ安いし、それはとても双方ありがたいお話。ただ、安いとは言え、祖母の家は広く、それだけで費用はかさむ。そして、賃貸にしても改修や契約のトラブルなんかもあるのかもしれない、と考えると心配だし、さらにお隣さんということもあり、もし!困った人が入居してきたら、私のご近所関係も難しくなるのでは、という不安もふつふつと湧いてきて、自分の妄想に首を絞められ自家中毒みたいになってしまった。空き家を売りたい希望は多いけれど、貸したい希望は少なく、活用のハードルが高くなっているんですよねー、とわかったように考えていた自分が恥ずかし過ぎる!!!あたりまえじゃないか、いつ何時どういう形で降ってくるかわからないトラブルにびくびくなんて誰もしなくないのだ。それならなかなか売れなくとも、売り物件として空き家バンクに登録するのだ。そりゃそうなのだ。

ちょうど法改正もされたときで民泊とかそういうものも考えたが、長年の付き合いがある場所で、そういうことをしてほしくないと両親に言われた。それはそうなのだと思う。何十年も祖母の代から築いてきた信頼関係が危うくなりそうなことはしてほしくないのだ。実際、私が祖母の家の周りをぐるぐるしていても、それとなく用途を聞いてきて、私が住むと言うと、安心した顔をした人たちも多かった。私は、投資をする気持ちもないし、心安らかに毎日を過ごしたい。だから、刺激的な出会いもあるかもしれないけれど、それでも平穏な毎日の方を選びたいと気づいた。

でも、やはりあんなにかわいい建物がなくなることは悲しくて、まちづくりの実践者の人たちに聞いてみた。「仕事でこんなに空き家に関わっているのに、何もできない自分が恥ずかしい」と私が言うと、「そんなもんだよ、初めて関わって知っていくことばかりだよー」「残せる建物は少ないし、救える建物は本当に出会いがあったりラッキーな建物」などなどやさしいお返事。あー、みなさん、私みたいな思いをされてきたんだなーと初めて気づく。たくさんのことをしてきたけれど、一方でたくさんのどうにもできないことにも遭遇したのだろうな。

結局、お隣の家は祖母の家の南面ということもあり、購入して更地にすることにした。小さい頃からの夢であった祖母の家に住むことに際し、なぜこんな大きな難しい問題が降ってきたのかという憤り。都市や地域に関わる仕事をしてきて、たった一軒の町家を残すことすらできなった自分への不甲斐なさ。いいなと思う建物がなくなることへの純粋な悲しさ。そういう気持ちに何ヶ月もずっと苛まれた。正直、考えるのも辛くて目を遠ざけていた。

まさか自分が町家を壊すことの一端をなすことになろうとは、なんだか世の中って酷だなあと。せっかくの大きな決断も、なんだか嬉しくなくて、そういうモヤモヤも辛かった。

でも、不動産屋さんでの契約の際に、後から来た母がさらっと「さあ、今日はお祝いだよ!」と言って、ずっと行きたかったイタリアレストランに行って、父も娘一緒に、みんなでお祝いした。とってもおいしいご飯とお酒、みんなご機嫌。「新しい生活が始まるよ!楽しみだね!!」と、きっと私の悶々した気持ちを察してお祝いしてくれた母。本当に嬉しかった。

お隣の家がなくなった頃に、お隣の家について相談していた方が心配のメールを送ってくれた。なんだか自分一人でセンチメンタルになっていることに、もういいかなとやっと思えた。で、こんな風に返信していた。きっとこれからも、私のことだからモヤモヤすることも多々あるだろうから、忘れないように。ここにも書き留めておく。

もう、メソメソした気持ちももうやめようと思いました(まだ悲しいけど・・・)。せっかくのギフト。思い切り楽しもうと思います。あのかわいい舟みたいな家はなくなったけれど、道路から見ても楽しいお庭か畑にしたいです。娘は、ここ1.2年農家になりたいと言っているので、一緒にたくさんいろんなものを作りたいです。

そして、もともとお願いしようと思っていたけれど、その方に、この返信で正式に祖母の家の改修をお願いした。紆余曲折だらけだったけれど、なんとか一歩進み始めた。やっと。

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