集まって、海を向く
漁師はなぜ、海を向いて住むのか?
<漁師はなぜ、海を向いて集住するのか>という事が気になりだした。これも、そんなことは教科書に書いてある、「土地が狭いのと、海に近いほうが便利だから」であると言われるかもしれない。しかし、これも事実の半面しか語っていないようである。なぜなら、土地の広い漁村もあるし、海から遠くに住む漁師も多いからである。むしろ、<漁師は、朝の海を見てその出漁を決めるのだ>という説明のほうが説得的であろう。しかし、これも海状予報の発達した現代では弱い説明だろう。
だから私は、最近では<漁師は、海を向いていたいからなのだ>と考えることにしている。
上記は、私の大好きな本「漁師はなぜ、海を向いて住むのか? 漁村・集住・海廊」(地井昭夫、2012、工作舎)のなかでもとりわけ惹かれる箇所。窓から海が見え、波の音を聞きながら育った私にとって、海に焦がれ、そばに感じたいという気持ちは、理屈ではない気がしていたから。地井先生は、金沢大学でも教鞭をとっていたので、能登の漁村の調査もしていて、この文章は以下のように続く。
そして昔から、<海の幸>を迎えるようなかたちで軒を並べることが、海の幸を豊かにそして平等に分け合うことになるのだ、ということを学んできたのだと思っている。たとえば能登・赤崎には海に向かっている見事に軒を並べた美しい漁師集落を見ることができるが、こうした漁村における短冊形の地割りの形式は、純漁村型生活様式の確立という点からも重要なものであったと考えている。この短冊型地割りというのは、町家や外国にも見られるが、人が高度に集まって住むための、人類に共通するすばらしい知恵なのである。
リズミカルな漁師町
近世から漁業が盛んだった能登半島の志賀町にある赤崎は、このあたりの漁業の中心地のひとつだった。海岸線と平行にゆるやかに蛇行している通り沿いには、下見板張りの妻入りの間口の狭い住宅が連続して並んでいる。でもそれぞれがちょっとずつ違っていて、通りを歩くと心地のよいリズム感を感じる。初めて赤崎を訪れたときは、開放感に溢れた海沿いの道から、突然道の両側に下見板張りの同じような建物が建ち並んでいる景色に変わって、とてもびっくりした記憶がある。海側の建物は、舟屋だったようで今は倉庫のような建物になっている。通りを挟んで反対側陸地側の建物は、間口は狭いけれど、地図を見ると奥にずっと長い形をしているよう。地井先生が書いたような「集まって住むことの意味」って、今の時代において何だのだろうか。赤崎の集落を思い出しながら、たまに考えるようになった。
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