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赤い集落と通り道

赤い集落

何年か前に、調査の仕事で能登の海沿いの集落をずっと車でまわっているときに、なんだここは!とびっくりした集落のひとつが志賀町にある赤住(あかずみ)だった。地図で集落の名前を確認しながら車で回っていたのだけれど、赤住という集落を探していると、まさしく赤っぽい壁の家が並ぶ集落が海に向かった斜面にすり鉢状に集まっていた。能登の集落の壁板の色は木材の色素が抜けていった灰色のようなものだと思っていたから、突然あらわれた赤い色と斜面にきゅっと奥まった感じがとても衝撃的だった。

赤住遠景

車を降りて、少し歩いてみると、すべての家が赤っぽいわけではなかったけれど、家は海を望んで斜面に寄り集まって建ち、その間を車も通れない細い路地が通っていて、どんどん奥に入りたい衝動にかられた。限られた時間の仕事だったので、そんなわけにも行かず、そのときは、またいつか絶対に来てみようと次の調査地に向かった。

赤住の歴史を調べると、赤住の山側には石器が出土して、古代から人が住んでいたそう。また、言い伝えでは、大市街地であり、平家の落ち武者が潜伏していて、その末裔は能登でも有名な刀鍛冶の一人であったそう。1853年に金沢を出発した藩主一行は、安部屋(あぶや)という集落で宿泊し、翌日赤住で休んでいるという記録があることから、周辺ではある程度規模の大きい集落だったのだと思う。

お寺の通り道

その赤住には、恩敬寺と善法寺という二つのお寺が集落の中心にある。恩敬寺は1579年に、善法寺は1458年に建立されたそう。そして、集落の両サイドの小高い丘の頂上には赤住八幡神社と西宮神社があり、ふたつのお寺とふたつの神社が海を渡る漁師たちの目印になっていた。

学生時代から、私は都市や集落をぐるぐると歩いた後には、通った道を地図に書き込む。で、書き込んだ地図を見返すと、ふたつのお寺の敷地を横切って歩いていたことに気づいた。確かにお寺に入ったなという意識はあったけれど、ほんとに無意識に通り抜けていた。地図上で道路をみると、海沿いの昔からの道である浜街道(ピンク色)にふたつのお寺の参道が伸びていて(赤色)、1969年の住宅地図で確認できた道(たぶん主要なのだろう)が浜街道から2本斜面の上に伸びている(黄色)。2012年の住宅地図で確認できた道路はグレー色で示した。

道路を見ると、海にむかうものが多く、海とのつながりが強いことが感じられる。そのぶん、集落のなかで海と平行に移動することが難しくなっているのだけど、中心にあるふたつのお寺の敷地を横切ることで、その不便さが解消されているのだ。だから私も、知らず知らずに集落を歩き回るために通っていたのだ。ふたつのお寺とも、渡り廊下にしたり建物の中央に通り道をつくったり、通り道の提供のための心遣いといったら感動するくらい。

赤住恩敬寺

赤住善法寺

住宅の通り道

お寺だけではなく、歩いていると、あれ、今人の家の敷地を通り抜けた?となった家が何軒かあった。例えば、石でできたしゃれた塀の中に入って、母屋と納屋の間を通り抜けることができたり。この塀は、向かって左側は曲線で、右側は直角に曲がっていておもしろいのだけれど、赤住を歩いていると、まるくカーブした道には、几帳面にきちんとまるくカーブしている塀の家が多く、歩いていると身体に吸い付いてくる感じがして、こそばゆい感じになる。

赤住通り道

赤住カーブ塀

密集していて、通りを確保することが難しい赤住では、それぞれの家やお寺が提供できる「通り道」がとても大切なんだろうね。



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