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700mで限界だったわたしが42.195km走れたということ
走るなんて不器用がすること
子どもの頃から走ることが大嫌い
所謂鈍足、親にもノロマと言われ続けるほど
短距離、長距離どちらも嫌い
横断歩道で信号がチカチカしたら絶対に諦める
階段は極力使わずエスカレーター派
とにかく脚を使いたくない
運動会や体力測定は毎回憂鬱
徒競走ではビリから二番目、一番ビリはポッチャリちゃん
マラソン大会でも学年のビリから二番目、一番ビリはポッチャリちゃん
走り始めてすぐに口の中が血の味がして胸が苦しくなって
ゼーハーいい脚が動かなくなり終了~となる。でほぼ歩く
確か、学生時代の50mタイムは9秒代、100mは18秒代だったかと
100mは走っている途中で疲れて休憩とりたかったくらいだ
ただ、球技だけはどれも人並みだった
突出してるわけでもないが、走ることが人並みでないので、
人並みに出来ることでちょっとばかし
出来るやつの顔をしていた
だから、あーそうか走るしか取り柄のない人は不器用だからなのねーなんて勝手に決めつけていた
実は走るのが速いほうが元々の身体能力が高いのに
コレが負け惜しみというやつだ
走ることが全くダメでも、道具使えばこっちのもの!
と勝手な自己肯定感
余談だが、わたしの母は運動神経抜群で
走るのも球技も何もかもトップであった
街の町民運動会ではマラソン女子の部1位
学生時代はバレーボール、バスケで選手、短距離ももちろん速い、
リレーもアンカーしか走ったことないとか
テニスもゴルフもちょっと齧ると父より全て上手くなっていた
そんな無駄に運動神経の良い母から
足の速さは妹が受け継ぎ、球技はわたしが受け継いだようで、
わたしの球技は半分も受け継がれてなく人並みに落ち着いた
妹は陸上部でハードルをやっていた
本音をいうとそれは少しばかり羨ましかった
ハードル選手なんて一番身体能力が問われそう
そして母にはわたしの鈍足が許せなかったらしく
運動会の後、こっぴどく怒られていた
なんでお母さんの子なのにこんなに脚が遅いんだ!
恥ずかしい!と
それも走ることが大嫌いになった理由の一つでもある
そして大人になり走ることなんてなくて良かったーと、どんどん人生は過ぎていった
そしてわたしの鈍足も鈍鈍拍車がかかった
京大卒なのにオモロすぎ
そんなこんなで気づけば人生は過ぎていく
気づけばそこら辺にころがるおばさんになっていた
このころ働いていたのは全国のエリートを揃えたような職場で
仕事していてもとても面白かった
職場にはランニングクラブなるものがあった
がわたしには無関係だなとスルー
その頃ランニングクラブの幹事をしていたのが
運命の出会いの京大卒のエリートなのに
めちゃくちゃオモロい人であった
エリートさんたちって仕事ができて話もすぐ通じるし楽しいんだけど
面白いかと言われればなかなかそんな人いない
どちらかというと真面目な方が多くてこちらが冗談を言って笑わせているくらいだ
エリート関係なく、普通に仕事していて面白い人に出会うってのも稀だし
そんな中、将来有望で頭がキレて仕事もできる京大卒のエリートがかなり面白い
面白いことが言えるのは頭の回転が速いんだろうが
頭の回転が速いから面白いことが言えるか?というとそうでもない
そんな彼の話はいちいち面白くてわたしはよく爆笑していた
後に知ったのだが、学生のころラジオの割とメジャーなハガキ職人だったそうで
そりゃ面白いもん、採用されるわなーと思った
そんな彼に「マリリンさん、ランニングやらない?」と誘われたのだ
彼に誘われなければまずやらなかったろう
運命的な出会いは人間や動物にとって死ぬほど大切なことなのだと気づかされた
神的にロジカル
彼曰く、「短距離はそれなりに本人の身体能力も問われるが
長距離は関係ない
やり方次第で走れるようになりますよ」
と涼しい顔で言う
わたしは、「イヤイヤイヤイヤそれでもわたしは別物だと思いますよ
走るの大嫌いだしすぐ息が苦しくなるんです」
実は誘われたこともあり、
ちょっこっと前にこっそり走ってみたことがあった
スタートしたと思ったらすぐに苦しくなり口の中が血の味がした
自分はどのくらいの距離走れるのかなーとアプリを起動させていたのだが驚愕した
なんと700mの文字が!
以前は勝手に1,2キロ走れるんだろうと自分を過信していたのだ
今は携帯でなんでも測れるのでそんな思い込みもできない
これがわたしの正真正銘の実力、諦めもついた
これでランニングクラブのお誘いもきっぱり断れる
1キロすらまともに走れない、そもそも100m走を途中で疲れて一旦休憩挟みたい
それくらい走ることが遅いわたしがランニングなんて夢のまた夢
そりゃランニングしてる人はすごいなとは思うが
あんな苦しいことを好んでしている神経が信じられない
わたしはテニスや球技を楽しめばいいのだ
ただそれだけ
いままでと何も変わらないんだよと
ちょっぴりだけ残念な気分にもなっていた
========
彼の話はおもろいだけではなく、ものすごく説得力がある
仕事の話はそれほど爆笑させながら教えるわけではないが
途中途中でクスっとさせたり説明の仕方が上手すぎてぐんぐん入っていく
先生に向いてる!と話したこともあった
先生になるのも考えたとも、教えるのが好きだからと話していたが
奥様が何語か(忘れたすごくマイナー)の言語を大学で教えているらしく
この人にその妻ありなのだろうなと感心した
そんな彼に誘われたとき、わたしは走るなんて不器用がすることに記したことを伝え
走ることは絶対に無理なのだということを力説した
彼はそれを聞いても表情を変えず、「ぼくも同じでしたよ全く」
と言い放った
聞くと彼も鈍足で短距離長距離全てダメ、すぐ歩く人だった
そんな彼が今やフルマラソンに何度も出場しており、
ホノルルマラソンは3回参加したとか
「じつはわたし長距離でも700mが限界なんです」
先日こっそり走ったことも正直に話した
ここで格好つけても仕方ない
すると、「うむ、それは多分マリリンさんにとって走るスピードが
速すぎるんです」
「次はものすごーく遅く、歩くくらいでいいんで走ってみてください」
「走ったらぼくに教えてください」
といつもの涼しそうな顔で言ってきた
「わかりました、やってみます」
どうせ同じだろうと内心毒づきながらも愛想よく返事だけはしていた
数日後、歩くスピードね、まあそれならできるかな?と
半信半疑でアプリを起動させスタートした
歩くスピードというと歩幅が劇的に狭い、本当にちょこちょこ進む
そしてめちゃくちゃ遅い
こんなのでいいのかな?と思いながら進んでいく
すると、ん?なんだかこの前より距離が伸びてる
新しい道を走ってるな?とそんな余裕さえ感じながら走っている自分がいた
血の味もしない、息が苦しくもなってない
最後はどうやって走るのを終えたのか記憶は曖昧だが
な、なんと初めてのランニングで3.7㎞走れていたのだ!
その時の記録が以下となる
走った距離 3.70㎞
平均ペース 8'10''
走った時間 30:17
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144767822/picture_pc_6134a97c5a5bb6fd98ac49d445757f42.png?width=1200)
信じられなかった
今となってはこのペースなら誰だって当たり前に走れることはわかるが
自分にとってこの距離をこの時間を一度も止まらずに走れたことに感動した
この日からわたしのランニング人生がスタートしたのであった
翌日彼にこの感動と感謝を伝えた
彼は満足そうな顔をして「よかったですね、その感じで続けてみてください」と
そして「絶対にフルマラソンも走れますよ」とも
わたしは迷わずランニングクラブに入会したのだ
京大卒のオモロイ彼には感謝しかない
自分に酔う、調子にのる
あの日からランニングしている自分に酔っていた
ランニングしてるわたし、イケてる
ランニング用にウェアも何着も新調した
そんな日々を送っていた
全くの素人なのでタイムや距離なんて関係ない
颯爽と走っている自分がステキなのだイケてるのだ
蓋を開ければ実は速いランナーとは言えない
ただ、長距離は走る回数や距離が多ければ多いほど
自然と速さも距離も比例して伸びてくことを知る
実際2回目にして
平均ペース 7'17''
ただ、この1キロごとのアベレージを見ると酷い
マラソンは同じペースで走り続けることで同じ呼吸で変化なく長く走れる
まあ最初調子に乗ってすっ飛ばし、うわっとなりすごく遅くなり
やっぱりスピード出したいの連続でペースもへったくれもない
こうやって振り返るのもなかなか興味深い
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144768029/picture_pc_a9d22e1eb1df0ea134cc474bf3c1e9ef.png?width=1200)
ただトータルで見るとおおよそ1キロのペースが1分も速くなっていた
距離は5キロ弱をほぼ毎日か1日おきに走っていて
そのことを彼に伝えると
「ベストは1日おきです、そのほうが筋肉にもよい。ですが走ることが楽しい時かもしれませんので毎日でもいいですよ」
「あと、走る感覚は2日以上開けないほうがいい」
「徐々に距離も伸ばしていって、まずは10キロ走れるように頑張ってください」
とわたし(Qちゃん)にとっての小出監督となっていた
これを続けているだけで自然とペースも速くなり
距離も増えていっていた
程なくして足の内側の真ん中あたり(土踏まずの内側横)がすごく痛くなった
スポーツ店のランニングシューズコーナーに行き
店員さんに相談したところ、素人が陥りやすい負傷だそうで
走り方や体重のかけ方が均一でないことと
シューズが軽すぎること、足の裏への負担などもあるらしく
わたしはとても軽いシューズを履いていたのとインソールも元々ついていたものを使用していたのが原因のようだ
折角ランニングに目覚めたのでどうにか治したい
ただ痛いときは無理せず休めといわれしばし休み、
その間にインソールを若干いいやつにしてみた
そしてシューズもきもち軽すぎないものにした
痛みが治まってから再度走るとインソールのおかげか全く痛くならなくなった
この素人が陥るであろう痛みはこの時だけで
その後、フルマラソンの練習を長距離していても痛くなるようなことは無かった
シューズとインソールって走る上で最も大事ですね
中、長距離トレーニング
ランニングクラブは月1で皆でご近所を走るというものだったが、良く参加した
のちの飲み会も皆さん楽しみなようで、折角走っても本末転倒な気もしないでもないが
わたしの小出監督も割とぽっちゃりしていてフルマラソン走るようには見えない
1週3㎞ちょっとなのでそれで終わりにしてもいいし何週でも好きなだけ走ってる人もいた
中に、セミプロランナーの方がおり、いつも参加しているのに走っているところを見たことがなかった
何故かというと、ものすごく速いのでスタートの時点ですぐに消えてしまうのだ
わたしも1週3㎞なので一応は全力で走ってみているが、スタート地点以降一度も目撃したことない
それほど速かった
確かそのセミプロの方は平均ペースがフルマラソンでも3'30''という別次元の人だった
一度だけ走っているところを見たが一瞬で消えてしまった
その時わたしは走るのをお休みで見に行ったので見れたのだ
因みにセミプロさんは大人になってからランニングを始めたとかで、そもそもの心肺機能が強いのだろうなと、招待選手として大きな大会にも出ていた
わたしが最終目標で走った東京マラソンでも大迫などが参加しており、
一瞬すれ違ったがあまりの速さで誰もわからなかった
同じことをしてるとは到底思えない
それまでは10㎞走れず7㎞で止まってしまうことが多かったのでそれをわたしの小出監督に相談すると
「それはまだ速いんだと思う、もう少し遅く走るように」
「それと、10㎞までは我慢しないといけない」と初めて辛そうな体験があることを教えてくれた
そしてその教えを元に頑張ってみた
まだまだ走るのが楽しい時期でほぼ1日おきにランニングは継続していた
始めてから約1ヶ月後くらいに初めて10㎞走れた(↓参照)10㎞でも7'03"くらいの平均ペースでもう走れていたのかなんか驚きだ
わたしの小出監督に10㎞走れた報告をすると
「おめでとうございます。じゃあ今度は少しずつタイムを縮められるように頑張りましょう」と言われた
10㎞でタイムを縮めるこれが大変なこととなる
この頃は5㎞とか3㎞ならば割と速く走れたが10㎞となると別だ
急に辛くなる
ただ、昔味わった口の中が血の味がしたりゼーハーゼーハーはしなくなっていた
横断歩道も信号がチカチカでダッシュできるし
階段もそれ程大変でなくなっていた
人間てこんなに変われるモノなんだな
何事も始めるのに遅いことはないとはよく言ったものだ
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144775910/picture_pc_8fcfeeb5ea07faa28b2f380708e599bb.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/144775873/picture_pc_4b2913f26d2ad12431b154110a588ebf.png?width=1200)
そのうち、リレーマラソンというのもに皆で参加した。
一人2㎞で襷を渡し何度か走り皆でフルマラソンを完走するというものだ
これまた初めての体験でとても楽しかった
まさかこんな走るイベントに自分が参加できるとは夢にも思わなかった
このための練習でたまに2㎞ダッシュというモノを取り入れた
2㎞は実に中途半端でキツい
だが、この短めで速く走るというのがマラソンにも活かされてくる
ランニングは一定ペースで走るがスピードを速くしたいならばいつも同じペースで走っているだけでは一生速くならない
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145085864/picture_pc_b40bcf06629a0614feb538f153f42c27.jpg?width=1200)
友人に毎朝5㎞くらい走っているという子がいるが、めちゃくちゃ遅く走っていると
聞くと9'00"以上のペースとか…
わたしが初めて走ったペースよりも遅い
それだと永遠に歩くスピードだ
速くなるためには短めの距離でそこそこ全速力で走るを何本か繰り返す
そうすると次に長距離を走ってみると前回より必ず速くなっている
無理して速く走らなくともだ
なので、短めな距離走る、少し歩くを何本かやる日と
じっくりゆっくり今日は10㎞という日を作ってみたりした
次第にタイムが縮まっていった
そしてわたしの小出監督とのお別れが待っていた
自分自身との戦い
この職場はほぼ出向者たちの集まりのようなところであり、
皆さんいづれは自分の会社に戻ってしまう
大体2から3年が平均でたまに長い人もいれば1年で帰ってしまう方もいた
わたしの小出監督もそろそろ3年が経とうとしていたところ異動の話がきた
皆さん素敵な方達で毎回お別れは寂しかったが
特に彼が帰ってしまうのはとても寂しく感じた
わたしにランニングの楽しさを教えてくれて
仕事に対しても何もわからなかったわたしに細かく教えて色んな業務を任せてくれた
ここからはランニングも私自身がどうやるかだ
彼とは連絡先は交換したが
流石にランニングのやり方は一通り教えてもらったので特に相談することもなかった
後は自分次第な気がした
だが日々のランニングも徐々に少なくなっていった
わたしは元々ダメ人間なので
実はこれ程ランニングを頑張れたのは奇跡のようなものだった
これはわたしにとっての小出監督がいて
距離が延びれば報告、タイムが縮まれば報告
それが嬉しくて続けられたようなモノだった
そんなモチベーションが無くなれば
元々のダメ人間がムクムクと現れあっという間にランニングもサボっていった
折角走る楽しさを知ったのにコレでは勿体無いどうすれば良いのか
ダメ人間を動かすにはただ一つ
何かに追い込まれる
何かに追い詰められるというのが一番である
そしてわたしはこっそりと一人で10kmマラソン大会にエントリーした
マラソン大会は友人知人と一緒にエントリーして走るということも一般的だが、そんな余裕もあるわけなくまして完走できるかもわからない
一人でこっそり参加するほうがわたしは安心だった
この大会に向けてまた走り出した
やはり目標があると人間て別人のようになる
サボり気味だったのが気づけば1日おきにちゃんと走っていた
しかも、5km、10kmを交互にだ
真夏は暑いからと早朝4時に起きて走り、シャワーを浴び二度寝し起きて仕事に行っていた
今考えると信じられないくらいちゃんとできてる
とりあえず自分のベストを尽くせば良い
完走が目標だった
このころわたしも職場を変えていた
その職場にはわたしよりはぽっちゃりした
運動とは縁遠そうな女子ふたりが過去にフルマラソン完走したことがあるという話を聞き、
彼女たちが走れるならわたしも走れそう
などと相変わらず上から目線で見ていた
そして当日、霧雨の中完走できた
しかも今までで一番速いタイム(↓参照)でだ
後にランニング仲間に聞くと大会は練習よりも絶対に速くなる
なぜなら一緒に大量の人と走るから競争になると
ちょうど梅雨時期でものすごく蒸し暑く雨が降ってくれたのも幸いした
晴れではもしかしたら完走できなかったかもしれない
毎年熱中症になってしまう方も多い大会だと話していた
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145086388/picture_pc_4768059a86e825b5fb392b3069cfae25.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145086409/picture_pc_1beff55a0bb10e4475cd7961623e6a4f.png?width=1200)
目標を持てば練習もするし走れるんだ
ということがわかったわたしはこれで相当満足してしまった
わたしはやれば出来る子なんだ
そしてまたランニングはサボり気味となっていった
以前の職場のランニングクラブへはたまに参加しており、みんなからアドバイスは受けていた
わたしにとっての小出監督がいないランニングクラブはつまらなかった
彼の淡々と喋るのに面白い
こんなお笑いのセンスがある人にはもう出会わないだろうな
この頃、東京マラソンの抽選申し込みしなよ!
と皆に誘われ、フルマラソンなんて絶対無理!!と話していたが、まあ当たらないから!とりあえず申し込みな!との声になんとなく申し込んだ
まさか二回目で当たってしまうとはこの時は知る由もなかった
集大成の東京マラソン
東京マラソンとはランニングしている方たちの目標や夢のようなもの
何故かというと東京のど真ん中を走れることなんて無いし
自分でいろんな景色を走りながら見れるという楽しみと
ちょっとした自慢にもなる
そして応援が半端ない
だから絶対完走できるよと皆に言われてきた
抽選は2019年と2020年の大会で申し込んだ
2019年は落選、2020年にまさかの当選してしまった
嬉しさ半分、どうしよう半分が正直な気持ち
ただ、当選したからには当日に向けて練習しなくてはならない
週に1か2日くらしから走っておらず、再スタートとなった
週3から4日は走っていき徐々に距離も増やしつつ
週末に長距離を走るようにしていた
20㎞以上もどうにかゆっくりではあるが走れるようになった
これならどうにかいけるかな?と思った矢先、コロナパンデミックとなり
開催するのか怪しくなってきたところ、直前で開催中止の連絡が入った
この半年間頑張ったことが水の泡となることがかなりショックで少し立ち直れなかった
ただ、この出走権利は次回に持ち越されるとのことで少しだけ安心した
が、今回払った費用は戻ってこないというなんとも理不尽である
その後の連絡で2021年はまたもや中止となる
このころはコロナが続いていたのでどうせないだろうとあまり練習もしていなかった
さらに出走権利は持越しとなり、2022年か2023年のどちらかを選択できるという連絡が入った
この頃になるとわたしのモチベーションも下がり気味でさほど練習していなかったため2022年は無理だな、練習不足だと2023年を選んだ
選んだもののなかなか練習に身が入らず真剣に練習を始めたのは
2022年10月からであった
途中フルマラソン前にモチベーションを上げるため、
渋谷・表参道Women's Runというイベントに友人と参加した
それは2022年3月だったのでその直前は必至に走っていた
その時に初めて10㎞を1時間切れた(59分59秒だったが)
シューズにGPSチップいれた正確なタイムではそうなのだが
自分のアプリだと1時間ジャストだったのだ、がまあそれでもこれが自分の過去最高のタイムである
3.7㎞を30分かけて走っていたわたしがここまで成長できた本当に夢のような話だ
月日はランニングスタートから4年半近く経っていた
たださぼりがちなのでこれ以上のタイムの短縮は無かった
むしろ遅くなっていく
毎日ちゃんと走っていればどんどんタイムも縮むのだろうなぁと
他人事のような感じである
5㎞ならばペース5'30"くらいでは走れるようになったので
自分のなかで満足してしまっていた
欲が無い人ってこんなものです
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![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145090682/picture_pc_5cc32c19c2cc40dba82a971a89d713fc.png?width=1200)
東京マラソンの練習は今までの集大成
練習方法はこうだ
平日に5㎞、10㎞を走り週末に長距離走
長距離は11㎞からスタートし、12、13、14、・・・と毎回距離を伸ばす
20㎞で一旦繰り返しそれが慣れたら21、22、23、・・・と伸ばす
大会1ヶ月前に一度だけ30㎞くらいを走る
その後は徐々に距離を短くしていく
大会前の1週間は10㎞を1本くらい走り残りは5㎞を何本かだけ
脚の疲労を残さないためにだそうだ
この頃は自分でもいろんな知識を入れて研究した
食事は炭水化物もたくさん摂った
走っているので食べても太らない
むしろ蓄えないといけないというのでパスタやご飯、おもちもたべたりした
さらに、アミノバイタルやBCAAなんかも前、中、後に取り入れ疲労回復できるように考えた
練習を真剣に頑張っているさなか悲しい出来事が襲う
大会のほぼ1週間前にわたしの最愛の息子(フレンチブルドッグ)が天使になってしまった
老犬であり、介護的な感じで生活していたが
夫と協力し長距離走るときは夫がいるときに限っていた
老衰であったので心の準備もしていたがやはり悲しかった
が、ここで大会出場を辞めるわけにはいかない
ブリンク(息子)のためにも今まで頑張ってきたことを無駄にしてはいけない
そう奮い立たせ当日に臨んだ目標は完走ただそれだけ
ただ直前に心配なことが起こった
膝に力が入らなくなるときがたまにあった
なんというかカクンと抜けるような状態になる
初めての経験で焦った
あと2日で本番だ、とりあえずサポーターと鎮痛剤でどうにかごまかせないかと一か八かで臨んだ
![](https://assets.st-note.com/img/1719205236280-NLS5SXJae7.jpg?width=1200)
当日はブリのお骨を小さなカプセルに入れてもらったのでそれと一緒に走った
膝にはサポーターとロキソニンも飲んだ
曇り空のためさほど暑くもなくマラソンに適した天気であった
並んで待っているとき隣の男性たちと談笑しながらスタートを待つ
プロのランナーが先に走り出し20分後くらいに私たちの番だ
ぞろぞろと最初は歩いているが徐々に開けていき個々のペースで進んでいく今まで2回だけ10㎞の大会に参加したが全く違う
参加者もそうだが応援もすごい人数だ、どこを走ってもガンバレー!!と知らない私たちに声援をくれる
途中防衛省の鼓笛隊や、ダンスや音楽やもうお祭りだ
それらを横目に見ながら楽しみながら走った
順調進みなんかいいかも!と軽く走っていられた
25㎞あたりを超えたころだろうか脚がものすごく痛くなる
どんどんスピードも遅くなりほぼ歩くスピードになってしまった
ただ、止まることはなかったどんなに遅くても完走するそれが目標だ
脚の痛みはどんどん増す、これがフルマラソンなのだなと
そして走りながらいろんなことも考えていた
最初はラジオを聴きながら走っていたのだがエアーポッズのバッテリーも切れてしまった
そのくらいから脚の痛みに意識がいってしまったのも悪かったのだろう
フルマラソンというのは距離というよりは時間ではないか、
練習の時も感じたが3時間を超えると脚が痛くなる
ならば3時間以内で走ることができればフルマラソンも辛くないのではないか
などと考えながら周りの声援があるたび少しだけスピードを速めた
不思議なもので辛くても「ガンバレーあと少しだよ!」
という声援が沢山聞こえるとちょっとスピードがあがる
だから東京マラソンは完走者が多いのだろう
声援ってとても大切だ
東京オリンピックで国民の声援があったらもっとメダル取れていたに違いない
などとどうでもいいことを考えながら丸の内口が見えてきた
最後の力を振り絞りゴール
特に感動はなく淡々としていた脚の痛みのが勝ってたのだろう
家族に完走できたことをいただいたメダルと共に報告した
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145095329/picture_pc_d82e34197760e22a71718762348ae866.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145095245/picture_pc_a45e9412deed6b8d1640b7d9657afb00.jpg?width=1200)
参加者にはメダル以外にも色々と貰えた
スポンサーもついているため帰りはスポドリとかポンチョとか一通り貰い更衣室へ向かった
途中普通に歩けていない人を何人も目にした
脚が痛すぎて動かないのだろう階段で手摺につかまり動けない人も見た
正にウォーキングデッドのウォーカー状態の人が目立った
幸いわたしはそれほどではなく、痛いが歩ける
この違いは多分だが練習の差だと思う
事前に30㎞まで走り込んで、あの長距離練習を重ねたから快復も速かった
全治一か月になる人もいるらしいが、わたしは3日くらいでいつもの生活に戻れた
わたしがフルマラソンを走ったことはわたしの中の小出監督の彼は知りません
いつかお会いすることがあればあの時に
フルマラソンというわたしには無縁な一生体験できないであろう体験を
東京マラソンという憧れの場で体験できたことを伝え、そしてそれを導いてくれたことに感謝していることを伝えたい
多分また面白いことを言ってわたしを爆笑させるのだろう