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真逆なものを引き寄せていたとある2日間

最初の1日は、どういうわけかちょっと気持ちのよくない人に近寄ってこられる日だった。
その方々にそんなつもりはないのかもしれないし、それを気持ちが悪いと感じてしまうこちらに問題があるのかもしれないのだが、どうしても耐えられなくてその場から逃げ出すという1日があった。

電車に乗ればなぜかそんなに混んでいないのにすごく近くに寄ってくる汗まみれの男性。

バスに乗ればなぜかわたしが座った席の真後ろから生暖かい息をはーはー吹きかけてくる男性。

帰りのバス停でも謎の奇声を発しながらジャンプして近寄ってくる男性。

そんなに狭い道じゃないのに、わざとぶつかるようにして目の前からぐいぐいこちらに迫って歩いてくる高齢の男性(昼間からよっぱらっていらした様子)。

今日はなんてとんでもない日なんだと身震いしながら、我慢ならず、即座に逃げ出したわたしは、歩きながら、「こんなにもとんでもないことが連続して起きるだなんて、わたしの心のあり方が何か間違っているのだろうか」と悩んだ。

思い出しても気持ちの悪い1日だったのだが、結局あれは何だったのか、いまだによくわらかない。

しかし人生、そんな日だけというわけでもなく、先日は逆に驚くほど素晴らしい日があった。

家を出て住宅街を歩いていると、遠くから日傘をさしてのんびり歩くマダムがいらした。
目の片隅で捉えていたもののメールの返信をしていたわたしは、顔を上げるのが遅れ、気がつけばマダムと至近距離に。
はっと顔をあげたわたしと目が合ったマダムは、とても素敵な笑顔でにっこり笑ってくださった。わたしも笑顔で会釈をしてすれ違う。

その日は市役所に用事があった。必要な書類を揃えるために行かなければいけない窓口は2種類。1つ目の書類のためにカウンターに行くと、元々丁寧な対応をしてくれる市役所だとは思っていたのだが、これまでにないくらい笑顔と優しさで対応してくださる方が書類対応をしてくださった。2つ目の書類のためにまた別のフロアのカウンターに行くと、これまた穏やかな笑顔で対応してくださる方に当たった。何だろうかこれは。

帰り道、家の近くまできた辺りで、おそらく初めてお会いするであろう恒例なマダムが、ショッピングカートを押しながら歩いていた。彼女もまた、ちょっと遠くから満面の笑顔を向けてくれた。お互い、笑顔でこんにちはと言ってすれ違う。

何だろうか今日は、と思った。

この明らかな周囲の変化をどう捉えたらいいものかと考えていた。
一つ、理由があるとするならば、おそらく先日発生したわたし自身の振動の変化なのかもしれない。パラレルワールドを移動したなと直感的に感じたわたしは、その後、わたしが理想と思っていた穏やかな世界に入ったような気がする。

理由はともあれ、自分の状態を自分が良いと感じるように整える努力はとても大切なのかもしれないと思った。

望まないものを引き寄せてしまっているときは、そのまま強行突破してもどんどん悪循環になるだけなので、一度立ち止まることも大切なのだろう。

ストップ、ブリーズ、シンク、アクト(止まって、呼吸して、考えて、行動)である。

緊急事態に命を守るための行動指針は、案外毎日のちょっとしたことにも応用できる素晴らしい知恵なのだ。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。