もしも平均寿命が60歳前後なら
人生100年時代という言葉も、ありきたりに感じられるくらい長寿は今や常識であることが社会に馴染んできた昨今だが、長生きすることは本当に良いことなのか、いつも考え込んでしまう。
我が家の親族は短命が多い。理由は様々だが、40代で亡くなっていった親族を順番に思い返してみれば、果たして彼らが長生きできなくて不幸だったのだろうかと思うと、一概に決めつけることができない。もしかしたら、最高にラッキーな人生だったかもしれないとすら思う時もある。
パラレルワールドの世界のような話だが、もしもこの社会の平均寿命が60歳くらいならば、多くの人の生き方は変わるのだろうか。60年分の時間なのか、80年90年分の時間なのかでは、私ならきっと考え方に影響を受けてしまうようにも思う。60歳くらいまでしか生きられないのが人としての生命体寿命だという設定ならば、きっともっと時間を大切に、もっと濃度の濃い生き方をせざるを得ないのではないだろうか。
もちろん長生きをすることによって、今度は別の、老後の心配のために今を頑張らねばならないという負荷がかかり、結果的に時間的密度はあまり変わらないのかもしれないのだが、そういう様々な仮定を想像してみたとしても、もしも60歳までの人生と思うと、私は今から世界旅行に出かけなければ、という気持ちにさせられてしまう。10年かけてあちこちに行ってみて、残りの5年くらいはどこか一番好きなところでのんびりしよう、と思う気がする。
私はあまり積極的に病院に行かない。
痛いと集中してやりたいことができなくなるので、とりあえず歯科検診だけは謎に真面目に通っているし、ちょっとの歯のトラブルもすかさず治療しているのだが、他のパーツはあまり知らないでいようと思っている。
もちろん早期発見早期治療という考え方もわからなくもない。けれど、早期発見したところで治療する気がゼロならば、それは早期発見のためにかかった費用と時間が無駄なのである。
ちなみに、我が親族の短命であった皆様は、健康診断も会社のルールできっちり受けていたし、異変があればきっちり真面目に病院に行かれるような方々ばかりなので、私のように病院に行かなさすぎて放置したら短命になったという話とは真逆なのである。むしろなんであんなに真面目に病院通いをして定期的に健康にもしっかり気を配っているような人たちだったのに、40代とか50代でさよならしてしまうんですかと、質問してみたい。どうやったらそんなことになるんですかと。
こういうのを、まさに、変えられない持って生まれた運命、というのだろうか。
さらに言えば、家系として何か特定の病気にかかりやすいというわけでもなく、短命な皆様は原因が全員バラバラなのである。ここまでバラエティに富んでいるのも何だかすごいのだが、とにかく全く同じ病名で亡くなっている人はほとんどいない。
ここまでくるとありとあらゆる手段でそうなるように呪われてでもいるんでしょうか、とも言いたくなるが、先にも述べたように、短命が必ずしも悪いこととは限らないので、それを呪いと称するのも何だか違うようにも思う。
そういえば老後2000万円問題なんていう話が話題になったのもかなり前のような気がするが、あれからじゃんじゃん物価が上がりまして、つまりはもう老後2000万円ですらないかもしれない。
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