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宇宙から延々と降ってくるもの

西洋占星術にたどり着くまで

幼少期の思い出

小さい頃、神話の物語と星座の話を書いた本が大好きだった。星のための図鑑も好きで、何度も飽きずに眺めていた。両親が星好きだったとか、夜空をよく眺める人だったとか、そういう周りの大人からの影響らしきものは一切ない。幼稚園に入る前から文字に強い興味を持ち、幼稚園の頃には一人で簡単な絵本を読めるようになり、小学校に入ると難しい意味や言葉はスルーしながら読めるところだけ読み進め、星と星座と神話の話を読んでいた。

そうかと言って星占いに興味があるわけではなかった。よく雑誌やテレビなどで今日の運勢のように設けられたコーナーも、否定はしないけれど「ふーん、へー」くらいの軽い気持ちで流していたように思う。

急に距離が縮まる西洋占星術

それが最近になって、色々なピースがカチッとはまるかのように、西洋占星術に辿り着いてしまった。私は外堀から埋められるかのようにして情報に当たり続け、考え続けた結果、西洋占星術もなかなか侮れないぞと思うようになった。

理解できないほど広い宇宙に地球という星があり、私たちはその太陽系第三惑星の上でああでもないこうでもないと言いながら毎日を生きている。その宇宙のごく小さな点にしか過ぎない私たちや地球という星が、宇宙の他の部分にある星や惑星や目には見えない何かからの影響を微塵も受けていないだなんて、なぜ言えるのだろうかと私は大人になるにつれて考えるようになった。私たちは毎日太陽の影響を確実に受けている。熱があり光があるおかげで、太陽からの影響は非常にわかりやすく、この夏も例外なく猛烈な暑さを太陽から被っているし、冬の寒い早朝に太陽が登ってくるとどんどん地上が温まっていくのを体感できる。太陽から届くものが、人間にとってわかりやすいから理解できるものの、それでは他の星や惑星は無関係と言い切れるのだろうか。太陽も古代の人たちが感じていたような、何かそこしれぬパワーのようなもの、目には見えないけれど熱や光以外の何かがあるのかもしれない。

ここまで考えるようになって、ふと星と星座と占星術について思い出した。私は何座だからこんな性格ですよだなんて、乱暴すぎるという考え方も十分理解できるものだし、私も世に溢れる星座占いを「へー」としか思っていなかったのは、そんな考えが自分の中にあったからだと思う。
けれども、広い宇宙と地球について考えてみたときに、外からの影響を無視できないと感じるようになってしまったところ、急に思い至ったのは「星座は記号に過ぎなかった」ということだった。

「星座は記号に過ぎない」と感じたら

古代の人々が生きる知恵のために夜空に輝く星の動きを活用してきた話はどこかで読んだことがある人もいるだろう。その知恵が星座の物語を作り上げてきた。ギリシア神話と組み合わされ体系的に星座が整理され、現在は88個の星座に分類が落ち着いている。その星座が最初に産み出された頃に思いを馳せてみる。私の独断的予想はこうだ。古代の人が「どうもあの方角から、とてもバランスが良い、調和を調整しているようなエネルギーを感じるんだよな。あの方向は重さを測る天秤のようだ。うん、そうだ、じゃああの星とあの星を組み合わせて他の人にも伝えられるように天秤座という名前にしてしまったらどうだろう」
みたいなことがあったのではなかろうか。
つまり、星とその形が重要なのではなく、はるか彼方、宇宙のどこからかはわからないが、地球の地上から見上げたときにその方角からある特定のエネルギーというか振動というか目には見えない粒々の何かが放射なのか流れなのかとにかく何だかわからないが降り注いできていて、それを多くの人に伝えるために星座が生まれたのではなかろうか、と考えたのである。
そこまで思い至ったところ、今度は幼少期に意味もなく星と星座の本に夢中になっていたことを思い出した。私は、その古代人の知恵を学習として吸収していたのだ。星と星座の本は、この方角からはこんなエナジー的な何かが来ていますよ、という先人たちが残してくれたルールブックである。

巷に溢れる星座占いへの違和感

とはいえ、「えー、星座占いって全然当たってないんだけど」と思うこともあるだろう。それはそのはず。例えば私は獅子座だが、私が生まれた瞬間に獅子座の方向からのエネルギーだけが地球に降っていたわけではないのだ。もっとたくさんの要素、例えば西洋占星術で重視されていることから言うならば惑星も固有の配置になっているはずだし、同じ誕生日に生まれた同じ年齢の同じ性別の子供でも、生まれる時間までは同じにすることはなかなか難しく、それがさらに同じ緯度経度で生まれることも難しいだろう。つまり全ての人はそれぞれ全く違う固有のエネルギーが地球に降り注いでいる時に生まれてきているはずなのだ。
生まれ持ったものを一生引きずるのか、と言う疑問もないわけではないが、わけもなく好きなものや悲しくなるもの、妙な癖などは、こういった外界からのエネルギーの影響を紐解いてみると案外すんなり理解できたりするので不思議である。

そんな考えが頭をめぐる今日このごろ、西洋占星術が万能だとは思わないのだが、手がかりの一手段として、人生の悩みを解決する糸口になるものなのではないかと感じるようになった。世の中には古くから多くの占術があり、ヒーリング法があり、この世界と向き合うための知恵がある。全てが自分に合うとは限らないし、究極に直感力に優れていて潜在意識までを使いこなせている人にとっては、ガイドとなる方法論は必要ないだろう。そういう人は自分の心に素直に従い続ければ良い。実際私はそういう直感の塊のような人に会ったことがある。そんな人たちは占いなんてしなくても自らの力だけで良い結論にたどり着くことができるので、直感の塊な人たちというのは毎日セルフ占いをしながら進んでいるようなものなのだろう。

上手に占い師に頼るために

私が占い師に占ってもらうとき、一つだけ事前に考えることがある。私は今思っているやりたいことや方向性について、仮に占い師に真逆のことを言われたり、それは絶対にやめたほうがいいだとか、向いてないよと言われた時に、考え直すだろうか、と言うことだ。もしも考え直さないと思うなら、占い師に会いにいくのを止める。どんな結論が出ても判断を仰ぎたいと思う内容についてだけ占いに頼ってみようと思うと、占いを使いたくなる時というのは絞り込まれてくる。結局決めるのは自分なのだ。自分が納得して自分で決められなければ、占いだろうがコンサルだろうがコーチングだろうが、どれも全く意味がない。やるのは自分。決めるのも自分。誰に何を言われても、最後は自分でどうにかするしかない。

ホロスコープ嘘つかなーいよ

それにしても話は最後に戻るが、西洋占星術恐るべし。私の夫について観てみれば、もうホロスコープそのまんまの人であり、これはもうなるべくしてなっているんだなと納得するしかない。私自身についてももちろんホロスコープを頼りに観ていて、色々と思い当たることがあり、残りの人生をより一層自分のために全力で時間を満喫しなければと気持ちを新たにした。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。