25年前からの手紙
ドラマチックな映画や小説でのクライマックス。
見事な伏線回収で大どんでん返しの結末へ。
そんなことは小説や映画の世界でしか起こらないと思っていたのだが、
なんといま自分の人生にじわじわと華麗なる伏線回収が起き始めていて
どうにも自分に自分で突っ込まずにはいられない今日この頃である。
本日の伏線の出どころは、なんと大学時代しかも1年生の前期の頃に遡る。
正確にいえば大学受験のための勉強内容から始まっているのだが。
私は大学を音楽科(ピアノ科)で受験している。
それぞれの大学によって専門科目の種類が異なるので、
音大受験を目指す高校生は受験対策として様々な音楽に関連する科目も準備する。
聴音と言われる音楽のリスニング試験のようなものや
新曲視唱と言われる初見の楽譜を歌う試験、
楽典と言われる音楽の理論試験のようなものなど
もちろんそれ以外に自分の専門とする楽器の演奏、
専門としない楽器の演奏もしくは歌曲の歌唱が必要だったりする。
音楽科の受験生は通常の5教科を受けて、さらに大学ごとの何教科かの学科試験も受けた上で、それらの音楽に関連した試験があるので、とにかく受験勉強をしているだけで
睡眠時間はほぼ無くなる。そもそも1日が24時間では到底足りない計算なのだが、一体どこをどうやって生き延びていたのかいまだに謎である。高校時代だけ1日は30時間くらいあったのかもしれない。
これは人生で最もハードな時期だと高校時代は思っていたのだが、
その後、大学入学後の方が授業で忙殺されるという音大生体力勝負の恐ろしさを知るのだが、その話はまたいずれ。
さてその音大時代と、42歳の今が
伏線回収されて繋がったのだから、
ハリウッド映画も伊坂幸太郎小説もびっくりである。
音楽を専門的に学ぶ人が必ず最初に通る学びの中のに
「ピタゴラス音律」というものがある。
周波数比3:2で完全五度を積み重ねて作る音律(なんのことやらと思われると思うので、ぜひグーグル先生に詳しいことをお尋ねください)なのだが、
そもそも一本のピンと張った紐をビヨヨンと弾いて鳴った音が、
その紐をちょうど半分にしたら1オクターブ高い音が出るんだよね、という話から来ている理論だ。
そのピタゴラスが発見した、全ての音に含まれる数列が、振動にも影響し(そもそも音は振動である)、
途中を割愛するが、結果、人体の振動数やその他諸々に繋がっているという話に着地したのだ。
私はこの話に、音を使った療法やシンギングボウルというチベットにルーツを持つ金属の巨大ボウルのような音が鳴るものについて学びたいと思い、英語でのページをいくつか読んでいた時に、巡り合った。
全く関係のない、ヒーリングや、シンギングボウルについて知りたくて
あちこち読み漁っていたら、
私の人生には二度と活躍することのない情報だろうと思っていた、
音楽理論の基礎の基礎と言われる部分と、突然繋がってしまったのだ。
え?そこ?
と驚嘆せずにはいられなかった。
人生に無駄なことはない。
確かにそうです、そうですよ。
けれどまさか、私が倍音の穴埋め問題で点数を落とさないようにするために必死に暗記していたあの何対何という数字の羅列やら純正律の理論やらが
20年以上の時を経て、役に立つことになるとは。
おかげさまで、音の理論についての知識はしっかり基礎ができていたので、
今読んでいるサウンドヒーリングの理論書が英語でも
スルスルと読み進められてすんなりと理解ができている。
全てが腑に落ちる。
そうか、だからサウンドヒーリングなんだ。
だから民族音楽の勉強もしてたんだ。
だから私の指導教官はあの素晴らしい人たちだったんだ。
西洋音楽真っ只中のような音楽科での数年間。
その後ピアノも売却し、弾かなくなり、
音楽科の時代は良い思い出(それにしては身も心もギリギリまで摩耗してボロボロだったけど)なのかなと軽く流していたところに、今のこれ。
そして改めて私は、その振動を本能で使いながら演奏していたし、
仕事もしてきたし、それから今現在も多分、気がつかないうちに
本能だけで振動をたくさん使っていることにも
薄々気がつき始めてきた。
もちろん理論として振動を使っていくことも十分に可能だ。
けれど、本能として使っていた振動は全く別のように感じている。
理屈ではない、その振動を使わずにはいられない状態。
音を出すからにはその振動が勝手にマックスまで全毛穴から放出されてしまう状態。
それを私は本当に小さい頃、記憶も曖昧なくらいの小さい頃から
なぜか体で知っていたのだ。
やっとそれを理解してきた。
42歳。
遅いのか、まだ間に合ったのか。
振動を最大限に楽しむこと。
それは私の人生の生きるテーマである。
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。