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ミニマルで身軽に去るために



自分の寿命をもしも知ることができるのなら、知りたいか知りたくないか。
私は是非知りたい。
その日から逆算して、今からの時間を最大限有効に使い切りたい。

人は誰しも、必ず死なねばならない。
どう足掻いても最後の日からは逃れられないし、仮に小説の中の世界のように永遠の命が手に入る世の中になったとしても、それを素直に喜べるかは私は正直わからない。
いつか必ず終わる日があるからこそ、今を大切にできるように思うからだ。


思い返せば2年くらい前から、体調がやや芳しくない。
2年前は時々忘れた頃に芳しくない程度だったのが、1年前にはそこそこな頻度で芳しくなく、今年に至ってはほぼ毎日芳しくない。
大したことではないし、もう面倒なので平均よりはかなり早い更年期ということで片付けようかと思うし、ともさかりえさんも更年期らしいので、いよいよますます安心して私も更年期ってことにしちゃおうと、この毎日の不調にはぴっちりと蓋をしたい。

しかし、である。
我が家系は短命が多い。
実の父は49歳で心不全の突然死。
実の祖父は、おそらく40代半ばかそれほど高齢ではない頃に肺癌死。
もう1人の実の祖父は心筋梗塞で救急搬送され奇跡的に一命を取り留めたもののその後膵臓癌死。
病院の初診での家族歴はなんだが明らかに要注意な項目が並ぶ。叔父叔母まで範囲を広げれば胃癌、バセドウシ病、大腸癌、脳梗塞、メニエール病と、更なる広範囲をカバーする始末である。

さて、そんな中で私は胸が苦しい。
元々10代の頃の心電図検査から心臓に小さな穴があり心雑音があることが判明しているため、マラソンなどの激しい運動は禁止されていたが、この小さな穴は成長と共に塞がることが多いため、手術などもせず経過観察ということになっていた。
その後特に問題もなく過ごしていたので、すっからかんに忘れていた程である。

世の中がこのような閉鎖的状況に陥る少し前、犬の散歩のために歩いていた時、やや息狂しさを感じたことが最初だったように思う。当時は極端に暑さに弱い体質のせいか、犬が太って重たくなったか(抱きかかえていた)私の筋力が低下したか、ともかく大したことではないと思っていた。

それが1年経ち、苦しくなる頻度が上がった。それでも暑い時期だったこともあり、やはり北国生まれの人は寒い場所でしか生きられないのだなと思っていたくらいだった。

さらに今年に入り、急に毎日苦しくなるようになった。1日の中で24時間ずっと苦しさが継続するわけではないが、少しの家事で苦しさが出てくる。座って休憩をすれば苦しさが消えるのだが、また動き始めると苦しくなる。それでも悶絶して倒れ込むような苦しさではなく、なんとか頑張れる範囲なので、放置しているのだが、こうも毎日苦しいとどうも変だぞと流石の私も思うわけである。

現代は便利なもので、症状から様々なことを検索することが可能なため、自己流で調べたところ、いろいろな可能性が浮上した。
これが友だちの話なら「すぐに病院で検査した方がいいよ」と言うかもしれないくせに、自分のこととなるとモヤモヤしただけで動けない。

ああ、死人に口なし、今こそ父に「ねえ、心筋梗塞で死ぬ前に、体調悪かった?何か変化あった?直前はどんな感じだった?」と矢継ぎ早に質問したい。

グダグダ言わずに病院に行けと言われそうだが、あれやこれや検査をして高額な支払いをし、結果「ただの更年期ですね」と言われた日にゃあ、本当に深く後悔する。なんという無駄遣いをしたのだと打ちひしがれること間違いなし。それでもきっと周りの人は、それは無駄遣いではないよと言うのだろうけれど。

ここで一旦冷静に考えてみた。
万が一心臓や肺の重篤な病気だったとして、私はそれを手術などをして治療して延命したいのだろうかと。

答えは明らかに否だった。

実は数年前から、もう十分にこの世を満喫したし、明日が最後の日でも未練はないなと深く考えていたからだ。もちろん来年があり、再来年があれば、楽しいことも素敵な未来もたくさんあるかもしれない。けれど、キリがないのだ。冒頭でも述べたが、人は必ずいつか死なねばならない。明日楽しければ、明後日も。明後日楽しければ来年も。来年が楽しければ再来年もその先もとそれはいつになったらこれで終わって良しという事はない、限りなく深い欲望だ。

ここまで考えが整理できたところで、今やるべきことがすっきりと整理された。
もしも本当に残り時間が少ないのなら、今からできる限りの身辺整理をすべきだと。
もしもまだまだ10年以上生き続けたとしても、物の断捨離や万が一の時の手続きの整理などは今からやっていても早すぎることはない。むしろ早く始めた方が良いことが多いように思う。

膵臓癌で亡くなった祖父は、余命を宣告され、そこから自分で葬儀の手配までを行なった。残された人たちが困らないように、残された人たちの負担をなるべく少なくできるように、祖父なりに考えて、隅々まで準備していた。葬儀後の会食の席順も(親族の揉め事や苦情の多い場面)祖父が全て決め、料理のメニューも決め、葬儀費用も支払い済みだった。
お墓も新しく作り直し、支払いも済ませ、自分がこれに入るのかと満足そうにピカピカの墓石を眺めていた。
そこまでの完璧な準備はしていなくとも、祖父が教えてくれた去り様を私も見習うべきだと感じている。

私が嫌いな母からもらった臍の緒の桐箱なんて、残されても困るだろうし、今すぐ処分である。既に2週間前に廃棄した。母に関連がある私が持っている貴金属類も全てお金に変えてありがたく今月の生活費に充てた。ありがとうお母さん。

過去のノートや手帳やメモもできる限り処分した。必要なページだけを切り取って保管し、その他雑多な内容は全て燃えるゴミへ。

服も可能な限り少なく。下着も3セットにした。

鞄はハンドバック、小さなキャリーバック、大きなスーツケースの3点のみ。

靴も冬用ブーツとレインブーツを兼用できるようにしたので2足だったのが1足に。普段履きのバレエシューズ型パンプスもどんなシーンにも使える黒1足に絞った。

着々と、ってそんなこと言っている人こそ100歳を超えても元気にケラケラ笑って過ごしていましたとさという話はあるあるだと思うのだが。いずれにせよ、明日不測の事態が起こってもいいように常に毎日を味わい尽くし、なるべくたつ鳥あとを濁さないように心がけながら生活することは、何歳でもどんな状況でも、大切だろう。


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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。