月の、おはなし
「ねぇ、お月さまは、どうしておいかけてくるの?」
夜の闇で、後部座席にすわったまま視線をあげると、まるくて、おおきな、光が横を並んで走っている。
赤い光を放つおおきな"てっとう"は、走るほどにうしろにうしろに流れていくのに、運転席の父が、何度ハンドルを切っても月だけはずっと、ずっと、ついてくる。
あのとき、月から目を離すことができないままその理由を問うたわたしに、父はいったいどんなことばを返してくれたんだろう。
夜の闇が、好きでした。
夜の闇の中で美しく並ぶ赤い鉄塔も、オレンジ色の橋も、わたしたちについてくることのできない田んぼも、家々も。
幼くして視力を弱めた目には、その光の粒は、あまりに幻想的にうつっていた。
わたしたちを乗せた自動車は、夜の闇を、光の中を、走った。
煙草のにおいが染みついた父の車が、嫌いでした。
嫌いでした。
嫌いになったのは、月のはなしをした日より、前だったのか、後だったのか。
きっと、後だった。気がついたら、月がわたしたちをおいかけてくることはなくなっていた。
愛を、
愛を知らないひとなんていないでしょう。
それがどんな形であっても、それを愛と呼びたくなくても、ほしいのはそんな愛じゃないんだと叫びたくても、でもそれはきっと、悔しいけど愛でしょう。
愛してほしいと、思っていました。
そのことを見失うほどに、罵倒しながら。
諦めるのは得意なの、と笑いながら。愛してほしいと、無言で叫び続けていました。
月が、好きです。
今日、仕事の帰り道に私は、数日前のしあわせな時間を思い出していた。
ひとつのテーブルを囲んで、マグカップに水をついで、私たちは、はなしをしていた。ただ、それだけの、満ちたりた数時間。
電車の窓から外を眺めていると、まるくて、おおきな月が私の横を走っている。月は、私をおいかけてくるのだといことをふと思い出す。
通り過ぎる蛍光灯とビルの間を、月は遅れずについてきて、顔を出す。
コンタクトレンズをした私のよく見える目は、その光を鮮明にとらえたのに、なぜだろう、視界はしだいにゆがむ。
こんなに、私はこんなにしあわせでいいんですか。
月が、綺麗でした。
しあわせは、いつかなくなってしまうものだと思っていたのに。いつか離れていくものだと。
記憶はきっと、繋がりでしょう。
月が、好きです。