妹に想いを馳せて
その日は東京理科大の中井泉名誉教授にインタビューした日で、インタビュー後に、妹が亡くなったという連絡が家族からありました。
妹は九州に嫁いでいたので、私が駆けつけることができたのはその翌日のことでした。
インタビュー前日に、私がスーパーで買い物をしている時に、突然、入院していた妹から珍しく電話がありました。
私は買い物の途中だったので、あまり長電話はできないと思い「後で電話するから」と電話を切ろうとすると、めずらしく中々妹が電話を切りたがらず、その後いつものように下らない話を1時間程をしたんですよね。
その時、妹は自分があと一歩で自分の心臓が止まりそうになったことなどをおもしろおかしく話してくれて、私も「〇〇ちゃん、さすがだね」と爆笑しながら呑気に返していました。
それが私が彼女の声を耳にした最期の声でした。
だた、その時、彼女は何度も「お姉ちゃんのお陰でここまでこれた。ありがとう」と何度も言ったんですよね。
そんな妹は身内びいきが激しく、いつも私のすることに感嘆し、私のつたない動画を褒めてくれていました。
なんでも私が作る動画の声を聞くと子守唄みたいで、体の痛みがなくなってよく眠れると。
そして、動画で最後に紹介する曲がいいといつも褒めてくれてたんですよ。
だから、そんな彼女の為に、終了画面の曲だけの動画を作ってプレゼントしようと思ってたんです。けど忙しくて手をつけれず、そのままになっていて。
彼女は長い闘病生活を送っていましたが、なんども復活していました。なので、また復活すると信じていました。
妹の夫は医者だったし、献身的に妹をみてくれていて、一番復活を願っていたのも義理の弟でしたから、全面的に信頼していたということもあります。
そんな妹が亡くなった一年前、私はもう動画をつくる意味はなくなったような気がしました。
妹が生きている時も遠く離れていたので、いつも会っていたわけではないのですけど、今でも遠くで生きているような錯覚を時々感じます。
留守電とかラインとかそのまま残しているので、また電話もかかってきそうな気がします。
そういえば、あの時私を癒やしてくれたのはアバのダンシング・クイーンという曲でした。
今日もダンシング・クイーンの曲を聴きながら、妹に想いを馳せたいと思います。
〇〇ちゃん、ありがとう。
あなたのお陰でここまでやってこれました。