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40歳、私の転職活動

半年以上の療養生活を経て、転職活動をしました。
私にとっては転職はとても難しいことです。

今までのキャリアを振り返ると、転職が多く、キャリアに一貫性もないため書類審査で不利になりますし、先に進めても転職が多いことやこれまでのキャリアのことを刺すように質問されることが多いです。

この度、とっても素敵なご縁があり再就職することができたので、これを綴りたいと思い、久々にnoteを書いています。

私と鬱

私がなぜ半年以上も休職していたかを、お話ししなければなりません。
私は2022年の4月にパニック発作を発症し、うつ病となりました。

きっかけは転職活動で、外資企業の人事の採用担当の方との面接で、とても自信を失い、自尊心も奪われ、目の前が真っ暗になったのを覚えています。

突然外出先でも涙が止まらなくなり、呼吸ができなくなり、眠れなくなりました。

ここに存在したくないと思うようになり、拒食が始まりました。
2ヶ月ほどで8kg体重が減りました。

何もせずにベッドに横たわる自分は、この世界に必要もないし誰のためにもなることができないと、毎日絶望的な気分でした。

鬱と私は長い付き合いで、初めて発症したのは高校1年生の時です。
死ぬほど勉強して志望校に合格したのに、父に「恥ずかしくて人に言えない」と言われたことがきっかけで、学校に行く意味や、生きている意味がわからなくなりました。

その後も家族関係や、看護師の仕事のストレスで、数年おきに鬱を繰り返していました。そして今回の発症を機に、躁も存在する双極性Ⅱ型の可能性がとても強いことがわかりました。

今回のうつ病でこれまで「無理をしてギリギリまで働かなければならない」という固定観念がだいぶ薄くなりました。

大切なもの
自分の健康、大切な人、家族、余暇、喜びを感じる生活
これらを大切にする生き方にシフトしていくことが受け入れられるようになりました。

私のキャリア

私は大学卒業後、10年程度は大学病院で看護師をしていました。
大学病院では、呼吸器循環器内科、脳外科、ICUを経験しました。

30歳を過ぎて、このままの生活を続けることに不安を感じるようになりました。医療という狭い世界で生きていくことが怖くなり、数年先が容易に想像できてしまうことに「このままではいけない」と感じるようになりました。

32歳の年に大学病院を辞め、ここからが転職の嵐でした。

美容外科看護師、美容専門学校教員、フリーランスヘアメイク、エステサロン受付、有料老人ホーム夜勤専従のアルバイト、大手不動産会社での注文住宅営業、製薬会社でのプロジェクトリーダー、保育園看護師、訪問入浴同行看護師、総合病院ER看護師、、(まだ忘れているような気がします)。そしてフリーランス秘書。

これを履歴書や職務経歴書にまとめたときに、内容よりもこの一貫性のないキャリアに目がいくでしょう。

私自身、看護師時代は世間知らず過ぎて、社会に出てからも何も考えずに掴めるものを掴んできたキャリアでした。

ビジョンも目指すものも、やりたいことも何もありませんでした。

あるとすれば、「看護師が関わる患者はほとんどが医療者以外なのに、世間のことを何も知らない。」この世間知らずが怖かった。だから外の世界に出たかった。ただそれだけのような気もします。

看護師以外の何者かになりたくて、必死で掴んできたキャリア。
それはあまりにも今後のキャリアには不利になるものだったのです。

いざ、転職活動

私は看護師と保健師の免許を持っています。
普通の医療現場や老人ホームなどの施設への転職は難しくありません。

しかし一般企業への転職や企業看護師などはかなり難しいです。

今回も看護師の転職エージェント数社に相談していました。
一番興味があった会社のことを問い合わせたら「この会社は転職回数が多い方をとらないようです」と。

面接に通ったとしても、やはり転職回数のことや一貫性のないキャリアについては、かなり根掘り葉掘り、刺すような質問が飛んでくることが多いです。

準備はもちろんしていくものの、緊張している中で採用担当の方が納得できるような説明ができているかは不明です。

「はっきり言っておくと、あなたのキャリアをここでは活かせないと思います」と面接ではっきり言われたこともあります。

今回は半年以上ぶりの社会復帰ということで、看護師の免許を使った派遣の仕事を探しました。
コロナ第7波にて、コロナ療養者向けのコールセンターはパンクしています。
今回は自宅療養者向けのコールセンターの仕事に応募しました。

その後気になる求人も出てきたので、こちらの面接は内定をいただいても断ろうと思っていました。有期でコロナが収まれば仕事も無くなってしまうからです。

しかし面接を受けてみて、私の気持ちは180度変わりました。

キャリアチェンジを多様性と認めてくれたこと

コロナ禍であることもありオンラインでの面接でした。meetに入ると優しそうな面接官のお顔と、尋常じゃない忙しさを感じるコールセンターの様子が映し出されました。

よくある面接のように、自己紹介から始まり事業説明等終えた後に面接官からの質問タイムでした。正直、有期(2ヶ月)の採用でなぜこんなに突っ込んだ質問をされるんだろうと思うくらい、会社員やプロジェクトマネージャをしていた時のことをたくさん質問されました。

そして面接官から「開始15分で、もうとっても僕は嬉しいです。ご提案をさせてください。コールセンターにとどまらず、弊社のプロジェクトマネージャや新規事業の立ち上げに関わるポジションの候補として考えていただけないでしょうか。」「8月からの新規事業の拠点リーダーに是非お願いしたい。」と。

予想だにしない展開にとても驚きましたが、光栄でしかないお話しです。
思わず聞いてしまいました。「私のキャリアは転職では不利になることが多いです。今回はなぜそのようなご提案を頂けたのでしょうか。」と。

「今までされてきたご経験はジョブホッパーのようには感じません。多様性が担保できると思いましたし、確かな実績として評価させていただきたいと思いました。」

結果、過去最高年収とマネージャー職のポジションのオファーをいただきました。

選択を正解にしていくしかない

今まで私のキャリアチェンジを悔やむことの方が多かったと思います。
看護師を早く辞めていればよかった。
看護師にならなければよかった。
もっとキャリアについて学んでおけばよかった。
もっと計画的にキャリアチェンジをすればよかった。
ビジョンを持って行動すればよかった。
言い出したらキリがありません。
キリがありませんが、これが私の最大のコンプレックスだったと思います。

しかし、今回の面接で「今までやってきたことがつながって今回のチャンスがある」と思うことができています。

時間は戻りません。
過去の選択を後悔しても何も変わりません。

5日後に新しい職場での勤務が始まります。
入ってみてどう感じるかはわかりません。

でも必ずこの選択が、「正解だった」と思えるように自分が努力していくしかないんだと思います。

経験や学びはこれからの自分の財産です。
それが今は何のためにあるのかわからなくても、いつか必ず点と点がつながって正解になる日がやってきます。

そのために毎日目の前のことを精一杯やることが大切ですね。


つたない文章ですが、わたしの今回の転職での学びを綴りました。
Twitterでも転職回数が多い、うつ病からの復職がうまくいかないなど、私のような苦労をされている方がコメントしてくださいます。

この記事が誰かの背中を押したり、勇気を出すきっかけになれば嬉しいなと思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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