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社会人が勉強を続けるために

いつも時間がない社会人。生きるために働いて、生きるために学ぶ。時々、何のために頑張っているのかわからなくなる瞬間もあるけど、明日もまた生きていく。そのために学ぶ。
ちょっと回りくどい表現ですが、勉強している人の気持ちは時としてこんな感じじゃないでしょうか。こんにちは、Mariko Okamotoです。
何かを学ぶために奮闘する社会人も多い昨今。かくいう私も通信大学〜学位認定試験(学位授与機構)〜英語諸々と学ぶことに追われていると言っても過言ではない月日を過ごしています。

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書いた本人も意外に思っていますが、それだけ学びと仕事を両立したい方が多いことの証左かもしれません。

私は今も両立のために奮闘中で、決して完璧なやり方は見つかっていません。体調や状況に応じて、今までと同じ方法でできないこともあります。ただ時間は誰しもと同じ24時間、睡眠は命、フルタイム兼業会社員が学び続けるため、工夫してきたことをまとめてみました。よかったら覗いてみてください。


そもそも学ぶ目的とは

「何のために勉強しているのでしょうか?」と改めて問われたとき、答えはありますか?
正直この答えはあってもなくても良いのですが、個人的には
・明確な答えがあり
AND
・本人のマインドが前向き
OR
・生きるために必要
という迫りくる何かがある方が続きやすいです。フワッとした動機や目的でも続く方は続くのですが、優先順位を上げる理由がないと「多忙」をやらない理由にしがちです。
一晩勉強してすぐに賢くなるのは難しくて、一般的に勉強はある程度の時間を費やして進めていくものだと思います。そう考えると「継続できる条件が揃っている」というのは絶対的に重要です。

私の場合
通信大学・学士(看護学)
1:看護師として現場に立つ以外の選択肢を増やしたかった
2:大卒のほうがキャリアの選択肢が増えるのを実感した
3:現場で手にしたものを学問と紐づけたかった

英語
1:同僚・顧客とコミュニケーションを取るのに絶対必要だった
2:もっと自分の言葉で表現したかった
3:通訳してくれる人が毎回いないといけないという状況設定が理論的に実現不可能だった

という感じでした。文字にするとちょっと弱い表現ですが、どちらも一言で言えば「この先の人生を生きていくのに今努力するほかはない」という、自分の中ではわりと大きな危機感からはじめた努力でした。

学ぶということとは

日本の社会人の勉強時間は平均13分、勉強時間ゼロの社会人は52.6%にのぼるという記事があります。

52.6%の社会人が全く学んでいないのか?それは学ぶというのを何と定義するかによると思っています。
定義は個々人で異なるもので、厳密に定める必要もありませんが、私の個人的な定義は、「手にしたい成果を得るためのプロセス」だと考えています。
手にしたい成果と現状のギャップが大きいほど、学ぶことへそれなりの努力が必要になります。逆に、すぐできる成果ならミニマムでもゴールまで近づけるでしょう。

学び続けるための工夫

先程も書きましたが、並外れた天才を除いて一晩で賢くはなりません。少なくとも私はなりません。私が成果を手にするためには、それなりの時間的な投資が必要でした。つまり、「継続」が重要だったのです。
私の工夫は、継続するためにできることで集約することができます。

目的を反芻する

何を得たいのか?それにはどんな条件があるのか?その条件達成のためには何が必要なのか?を考え逆算します。これを見失わなければ、形を変えながらもゴールへの道のりを確実に進んでいけます。
目的が曖昧だったり、道のりを見失ったときは誰かに頼って現状を整理するのも方法です。家族、同僚、友人、指導者… 今の時代はAIでも良いでしょう。盲目的に何かの方法を守り抜くよりも、何を叶えたいかを理解していることのほうが結果的に続くし成果にも近づきます。

スキマ時間を使う

スマホを開いたら勉強系のアプリが目に入る(指がちょうど当たる一番のベスポジ)ように並べ、SNSはほとんど消しました。特にInstagram、Threads、Tiktokは時間泥棒になりがちです。移動時間、休憩時間、何気ない時に勉強ができるように変えました。

また、音声系のコンテンツはながら聞きができます。メイクの時間、料理の時間、洗濯物をたたむ時間、掃除の時間、お風呂の時間など、あらゆる時間を音声系のコンテンツに注ぎました。

なぜスキマ時間を使うのか?そもそもまとまった時間を取れないからにほかなりません。平日は1日8時間+αの時間を仕事に使い、少なくとも6時間、可能であれば7‐8時間寝たい私の場合まとまった時間を取れるタイミングはわずかです。きちんと寝る、家族との時間をつくるためには、スキマ時間を活用するのが一番効果的でした。

睡眠時間は削らない

シンプルに続かないです。身体と心の健康を捨てて勉強しても得たい成果は得られません。覚えられない、身が入らない、何の時間にもならなかった、自己嫌悪という負のループが蘇ります。上に書いたスキマ時間を使いながら、睡眠時間は死守しました。上限の時間を決めて、その時間になったら諦めて翌日に回し、そんな翌日に回す日々が続くなら計画を見直すようにしました。

こだわらない

総じて真面目な人がやりがちですが、完璧主義の発揮方法を変えたほうがいいです。これを絶対やる!という「これ」はたいがい手段で、目的ではありません。何のために(何を伸ばすために)それをやるのか、目的にそぐわなくなったら切り捨てる勇気も必要です。
通信制大学の勉強方法にも書いていますが、私は授業を見てノートを取るという方法は諦めました。推奨される方法でないのも理解しているし、授業を見ている人よりは浅い理解だとも思いますが、
①学位を取る
②全体をさらって深めるべきところを理解する
という2つの目的を果たすためには授業を見てノートを取るは必須だとは考えませんでした。大事なのは、「授業を見る」のではなく授業の内容を習得することです。
(もちろん、必要な授業は参加していました。)
また、学位授与機構の学修成果では図書館に行ったり先行文献を探しあぐねることも諦めました。やりたい気持ちはありましたが・・・

実践の場を作る

「楽しい!」と感じるために実践の場を作るようにしていました。英語なら会話する(AIとでもいい)、学位のときは仕事のときに学んだ知識を思い出して使ってみるという感じです。学んだことをすぐ実践できるのは社会人の学びの面白いところです。

まとめ

私は意識が高い人ではなく、勉強もするけど寝たいし家族との時間も大事にしたいという、どこにでもいる普通の人です。色々書きましたが、結局自分の目的にあわせて続けられるやり方を取るのが一番だと思っています。より良く生きるために、無理せず一緒に続けていきましょう。何かのヒントになるなら幸せです。

Xにもいますので、よかったらどうぞ。


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