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大人が挑戦する姿を子どもに見せる:モンテッソーリの視点から

こんにちは、くわばらまりこです。先日、ジョインしている社会起業スクールSBCのお茶会に参加してきました。たくさんの刺激をいただく、素敵な仲間たちとの時間でした。
その中で特に心に残ったのが、「母が社会で試行錯誤しながら進む姿を、不登校気味の我が子に見せたい」という理由で起業を決意した方のお話です。その想いに触れたとき、私は胸が熱くなりました。その方は、子どもに「挑戦する姿勢」を見せることで、生きる意欲や興味を取り戻してほしいと願っていました。
モンテッソーリ教育に対する大人の姿勢にもつながると感じたので、今回はそのことについて書こうと思います。


モンテッソーリ教育と親の挑戦の共通点

モンテッソーリ教育の目的は、「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢をもった人間を育てること」です。
その目的のために「子どもは自分で学び、成長する力を持っている」と信じ、大人はその環境を整えることが役割とされています。一見、大人は子どもたちを導くだけの存在のようにも捉えられるのですが、決してそうではありません。生涯学び続けるのは大人も同じであり、挑戦し続ける姿勢を子どもに見せることが重要だと考えています。

冒頭でお伝えした仲間の想いに触れ、「親がどのように社会と向き合うかが子どもに影響を与える」という考え方に共感しました。成功だけでなく、試行錯誤するプロセスを見せることが、子どもにとって大きな学びになるという視点を持つことは、「親」として不可欠だと思います。
あらためて、モンテッソーリ教育の中での「観察」と「手を出しすぎない」アプローチは、社会で挑戦する姿と通じると感じました。


「大人の挑戦」が子どもに教えること

子どもにとって、親や身近な大人がが努力しながら何かを成し遂げようとする姿は、生きた教材のようなものです。その姿を通じて、以下のような価値観を伝えることができます:

  • 失敗を恐れない姿勢

  • 問題を解決するための柔軟性

  • 自分の信念を持ち続ける力

モンテッソーリ教育で強調される「環境を整える」という役割は、単に道具や教材を揃えるだけではありません。それは「大人自身の姿勢」も含まれています。親が挑戦する姿を見せることは、子どもにとって生きた教材になります。
たとえば、子どもが料理に興味を持ったとき、親が一緒に新しい料理に挑戦してみる。そんな日常の小さな一歩が、子どもにとって「挑戦することは楽しい」という価値観を育てるのです。


観察の視点で見る親子の関係

モンテッソーリ教育の中で「観察」が重要視されるのは、子どもの自主性や内なる成長を信じて見守るためです。
同様に、親や周囲の大人が挑戦する姿を見せながらも、子どもがそれをどう受け取るかを「観察」し、強制せず見守ることが大切です。

私自身も「こども哲学」のファシリテート初体験で大きな挫折を味わった経験があり、試行錯誤しながら乗り越えてきました。当時の私は、子どもたちを「導くこと」にばかり意識を向けていました。シナリオ通りに進まないと不安で、その焦りが子どもたちにも伝わってしまったのです。
でも、それを拒否されたことで初めて、「子どもは導かれる存在ではなく、自ら道を切り開く力を持っている」と気づきました。あの体験がなければ、私は今も「完璧な教育者」でいようと無理をしていたかもしれません。
その過程で学んだのは「親も教育者も完璧である必要はない」ということです。今では、子どもと同じように、大人も成長し続ける姿勢を見せることが、子どもにとって何よりの教育になると確信しています。


大人が挑戦する姿を見せることは、子どもへの最高の贈り物です。
失敗も成功も隠さず、試行錯誤するプロセスを見せることで、子どもは「挑戦することの価値」を自然と学び取ります。
まずは、日常の中で小さな挑戦を始めてみてください。
例えば、できなかった料理に挑戦してみる、少し苦手だった人に話しかけてみる。その姿を見た子どもたちは、きっとこう感じるでしょう。「挑戦するって楽しいんだ」と。


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