私だけが我慢すればいい
おはようございます。
昨日は海に行ってきました。
とってもきれいで、とても心が落ち着きました。
砂浜に寝そべって、ゆっくり砂を感じたり、海を感じたり。
子どもたちと砂に穴を掘って、ため池をつくってみたり。
楽しく遊びました。
私はどこか一線引いた状態になることが好きなのかもしれません。
120%で遊ぶこと。
これってとても大事なのに、どこか自分で遊びきれていない自分がいた。
以前の私は確実にそうだったなって。
どこかで、車運転するしとか私がつかれて動けなくなったら誰も助けてくれないとか、家族に迷惑かかるとか。
いろんなことを理由にして、120%出し切ることをしないようにしていた。
そうすると、我慢しているので全然楽しめなくなって・・・
あほの循環です(笑)
楽しむときは楽しめばいい。
遊べ、遊べ、遊べ。
これ、とっても大事だなって思います。
いっぱい遊ぼう。
私には遊びが足りない気がします。
さて、今日の龍のカードは囚牛(しゅうぎゅう)。
このカードは以前も出ていましたが、ちょっと龍様に怒られました。
鳴り物をやりなさいと言ったのに、やっていないではないか。
そんな風に教えてくれています。
確かに、鳴り物をやろうと言われたのに、調べはしたけど、やっていなかった。
ちょっとゴスペルに関わってみたいなと思って、友達に聞いてみた。
ただ、友達はもうゴスペルをやっていなくて、やる場所もないなってあきらめてた。
そこから、自分で近くでゴスペルやっているところはないか調べた。
2つ出て来た。
だから申し込まなくちゃな。
やろうかな。
ただな、練習日とか場所とかわからないし。
費用とかもHPではわからないし。
いろんなことを理由つけて、そのままにしていた。
理由付け、言い訳の天才だな、私。
そのままにしているということは、自分で考えたくないからほっておこうと思うこと。
そのままにしててはやばい!
お助けカードも引いたら、戦いのカードが出た。
一緒に戦う仲間に出会うよと。。
そう言ってもらえて私は嬉しくなった。
だから、行動!
調べてあった2つのうち、1つのところに無料体験を今、申し込んだ。
なかなか私は腰が重い。
やるときは速いんだけど、やるまではなかなかゆっくり。
申し込んで思うことは、先にやっとけばよかったなって。
早めにやっておけばいいのに。
それを先延ばしにしてた。
先延ばしにすることで、自分が楽だったんだよね。
先延ばしにする癖はいつついたんだろう?
いや、先延ばしにするというより、嫌なことは後回しにするという感覚かもしれない。
決断したくない。
きめたくない。
たどっていくと、保育園の頃のようだ。
決めると何かが起こった。
いじめだ。
私が決めようとすると、邪魔が入った。
決めると、いじめられた。からかわれた。
苦しかった。
きつかった。
きめることは悪いことだ。
そう自分が思っていた。
決めたことで、いろいろな人に迷惑がかかった。
かかっていなくても、自分が勝手にそう思い込んだ。
「お前が何かすると、みんなが迷惑なんだよ」
男の子が言っている記憶がある。
喉の奥がいたい。
息ができない。
息をするのも苦しい。
その男の子に苦しめられてきた。
自分が立ち向かえばよかったのかもしれない。
ただ、立ち向かえなかった。
立ち向かったら、ほかの子まで私をいじめに来る。
今仲良くしてくれている子もいなくなる。
それなら耐えたほうがいい。
昔の私が言っている。
私だけが我慢すればいい。
そうすれば、丸く収まる。
喧嘩はおこらない。
問題も起こらない。
私が我慢さえすれば、すべてうまくいくんだ。
だからがまんしよう。
そうやって生きてきた。
私は意見を言ってはいけない。
言うと何か言われる。
言われるのも怖い。つらい。苦しい。
誰にいっても話を聞いてくれない。
母に言えば、我慢して保育園に行きなさい。
そんな感じで言われる。言われるに決まっている。
私だけが我慢すればいいんだ。
我慢すればうまくいく。
だから、我慢する。我慢我慢。頑張ろう。
あ、私って我慢することに頑張ってきたんだなって感じた。
自分の気持ちを抑えることに頑張ってきた。
いまだったら間違いだよって思う。
その当時の私は仕方なかった。
誰も助けてくれなかったから。
我慢しなくていいよって誰も手を差し伸べてくれなかった。
我慢を強要された。
我慢がステータス。
淋しくても、どんなことでも我慢した。
我慢することが頑張ること。
ほめられること、みんなの役に立つこと。
めっちゃ勘違いしていた。
たまに私は、ずれているといわれる。
我慢のしてくる方向を間違えたからかもしれない。
我慢することで、自分を保っていた。
自分で自分をほめるときに「よく我慢したね。頑張ったね。」
そんな風にほめてきた。
自分のほめ方間違ってきたな。
自分の認め方間違ってきてるなと思う。
我慢ってそこに使うものじゃない。
だから、人に助けを求めるのも我慢していた。
私が人の助けを借りるのが苦手なのはこのせいかもしれない。
(ただ、そのせいにしたいだけかも(笑))
とにかく、みんなで遊んでいても、自分が抜けたら人数が合うなら、私抜けるよー。と簡単に言ってしまう子だった。
今でもその傾向はあるのかもしれない。
私、待っているから遊びに行っておいで。
そうやって言うときもある。
自分も楽しもうとする気持ちが薄い。
それっていいこと?
そこは自分がいいならいいんだけどね。
実は私は一緒に遊びたいのに我慢して抜けようとする。
我慢がストレスになり、○○のせいで私は遊べなかった。その子を恨む。
おいおい!
悪循環やないか。
自分で我慢せずに一緒に遊ぶ方法を模索すればいいだけのこと。
その模索に時間がかかって、遊べんくなるやんというかもしれない。
それでもいい。
時間が無くなったとしても、話をして一緒に方法考える時間を共有すればいい。
その方が自分が楽しい。
相手が楽しいかどうかは相手が決めたらいい。
とにかく、私は我慢の方向を間違えていたな。
そんな風に気づいた。
きっと、この歌をやってみたいっていうものも、時間が子供といる時間をつぶしてしまうとか考えている。
ただ、みんなが好きなことをやって、自分の時間を持てばいい。
私には私の時間も必要。
子どもたちは子どもたちで自分の時間が必要。
子どものせいにしてやらないのは、ナンセンス。
自分の好きなこと、やってみたいこと、自分だけがあきらめないほうがよいと思う。
私だけが我慢すればいい。
こんな感覚、くそくらえだ。捨ててしまえばいい。
あなたも私も好きを追究しよう。
読んでくれてありがとう。
あなたが幸せでありますように💓
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