倉敷市地域おこし協力隊×お茶席の可能性|2024.小暑・鷹乃学習
鷹乃学習(たかすなわちがくしゅうす)
例年より2日遅く、梅雨が明けたそうな。
3日前に関東が梅雨明け、続いて四国も梅雨明けしたので、中国地方もそろそろ梅雨明けするだろうと待ち焦がれる一週間だった。
とはいえども、倉敷の夏はとんでもなく暑い。梅雨明けしたのは今日だから、本格的な夏はこれからなんだろうけれども。もうすでに、だいぶくたばっている。
関東の夏は焼け焼けこげるような「痛い」暑さだったけれども、倉敷の夏は蒸し暑いサウナのような暑さ。わたしは中高生時代を福岡県の北九州という地で過ごしたのだけれども、倉敷の夏はそれに近い。
東京にいた頃も仙台にいた頃も「わたし、代謝悪いタイプの人間なのかしら?」と心配になるほど汗をかきにくい人だったのだけれども、倉敷に来てからはドバドバと汗をかいている。(ちなみに、仙台の夏は東京と倉敷をたして2で割ったような程々な暑さ。東北だからといって決して涼しいわけではない)
冬の寒い時期も、花粉の時期も全然へっちゃらだった自転車生活も、夏本番を迎えるこの時期になってはじめて「もしや、これは危険な乗り物なのでは」と思うようになってきた。
やっぱり、車が必要なのか。いや、今から自動車学校に通うのか。というか、わたしなんかが路上で車を運転しても良いのか。(真昼間に、シラフで、自転車ごと用水路に落っこちた人間なものなので、自分の安全性をまったく信用していない)
とりあえず、熱中症警報が発令されている日はバスや電車を駆使しながら生活していこうと思っている今日この頃。
下津井茶屋でお茶席を担当しました
2024年7月6日(土)に、しもつい横丁で開催された下津井茶屋でお茶席を担当した。
本当はすぐにでも報告のnoteを書きたかったのだけれども、これはまず誰よりもわたしにお茶を教えてくれている先生に報告したくて、東京まで行ってきた。
・お茶を理由に帰れる場所があるありがたさ
先生のお宅へ伺い、お茶室の襖を開けるとにっこりとした先生が立って待っていて
「おかえりなさい」
と抱きしめてくれる。
倉敷という、縁もゆかりもない地に移住しても、帰りたいと思ったタイミングで帰れる場所があるということ。そのひとつが、先生のお茶室なんだと思う。
東京帰省の日程が決まると一番に先生へ連絡をするのはわたしのほうで、先生はいつでも待っていてくれるだけなのに、扇子を前においてご挨拶をするときはいつも先生のほうから
「遠路はるばる来てくれてありがとうね。待っていたわよ」
と言ってくれる。帰る場所を作ってもらっているのは、数カ月に一度しかお稽古に行けないわたしなのに、こうやって心から迎えてくれる人がいるって本当にありがたいことだなぁと思う。
お稽古をしながら下津井茶屋の報告をすると、とってもとっても嬉し気に
「倉敷にもあなたのことをちゃんとかわいがってくれる人がいるのねぇ。よそでお点前をしても恥ずかしくないように、私も気合を入れて教えないとと気が引き締まったわ!」
と喜んでくれて、本当にほっとした。
先生から戴いた浴衣を着てお点前をしたことも「似合うじゃない」と言ってくれて、この浴衣を選んでよかったなとしみじみ。
・下津井茶屋は、開店から閉店まで途切れることなくお客さんが来てくれました!
そんな下津井茶屋が開催された7月6日はお天気も良く、しもつい横丁から瀬戸大橋が良く見える気持ちの良い一日だった。
もちろんお点前をするのは緊張するし、浴衣は熱がこもりやすいのでとんでもなく暑かったけれども、開店から閉店まで途切れることなくお客さんが来てくれて。
何度もお点前をしてみて、毎回「カフェでお抹茶を飲むことはあるけれども、初心者だとお茶室に行く機会はないからお点前というものを近くで見られてよかった」「暑いからお抹茶ってどうなのかな?と思っていたけれども体の芯を通っていく心地よさが癖になりそう」のようにお客さんが新鮮さを感じてくれたようでなにより。
・倉敷は、各地域にお茶屋さんや和菓子屋さんがある街なのに、発信しようともしないのが残念ポイント。
お茶って「どうはじめたら良いのか分からない」と取っ付きにくいイメージをもつ人も多いかもしれない。でも、下津井茶屋のような場で実際にお抹茶と和菓子を口にしてみて「また飲みたいな。また食べたいな」と思ったら、お家でも試してみる人がいるかもしれない。
倉敷はお茶文化の街。玉島という港町が「お茶の町」として有名だけれども、玉島に限らずどの地区にもお茶屋さんや和菓子屋さんがある。それから実は、使われていないお茶室というのも他の街とは日にならないほどたくさんあるなという印象。
だから、倉敷の暮らしとお茶文化はとても親和性が高いものだし、気軽にお茶のある生活を始めやすい環境だと思う。
それなのに「倉敷の魅力度調査にお茶文化なんて書いてませんよね」とそもそも発信しようともしないトコロは、ちょっと残念だなぁと思っている。なんて話を移住仲間としていて、それならばわたしが発信してやろうと思ったのもこのお茶席開催のきっかけだったりする。
・お茶を囲んで突如始まった、移住者・移住検討者交流会
遡ること戦国時代は、武将が刀を持たずに入り社交や密談の場としても活用されていたというお茶室。
現代を生きるわたしたちにとっては、ちょっと「敷居が高い」と遠慮されてしまうかなという心配もあったけれども、それは杞憂だったようで。
お茶を飲みながらふと「実は、倉敷への移住を検討していて……」とこぼしたお客さんに「実は、わたしも他所からの移住者なのよ」なんてお客さんが近寄ってきて、移住先を探して旅をしているというご夫婦がいらしたり地域おこし協力隊が来たりと、気付けばあっという間に移住者や移住検討者の交流会が始まった。
意図して設けた交流会ではなかったけれども、地域おこし協力隊のわたしがあの場所でお茶を点てることにちゃんと意味があったのかもしれないな……なんてことを、ふと。
構えた感じの相談の場ではないからこそ、各々が感じていることを和気あいあいと語り合えて、すごくあたたかい場だった。
・素敵な機会を提案してくれたしもつい横丁の皆さん、ありがとうございました!
大好きな先生に喜んでもらえて、わたし自身も「倉敷でお茶を点ててみたい」が叶って、いろんな人たちと交流できた下津井茶屋。
「一緒にやろう!」と声を掛けてくれた人たちのおかげで、この夏の楽しい思い出がまた一つ更新された。「下津井でお茶点てない?」と誘ってくれた下津井節の津本ゆかりさん、着付け師の藤井友子さん、取りまとめをしてくれた地域おこし協力隊の中臣さくらさん、そして半東として準備から一緒に作り上げてくれた矢吹むつみさん、本当に本当にありがとうございました!
また次回は、もう少し涼しくなったころ。お月見なんかとコラボできたらいいね、なんて話をしているところ。
・地域おこし協力隊×お茶
とっても楽しかったし、お茶から生まれるコミュニケーションもおもしろかったので、どうにかこうにかこのお茶のある暮らしを倉敷の生活の良さとしてうまく情報発信の手段として使っていけたらいいのにな……なんてことを思っている。
思っているだけで、全然具体化しないのだけれども。何かいい案ないかなぁ。みたいなことを、近々会うみなさんにご相談させていただきたいなと思っている次第。
とにもかくにも、下津井茶屋は大成功でした。やったね!