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「正論」は求肥にでも包んだほうがいい
正論って「正しいこと」を自分は言っている、相手が言っているのに嫌われたり嫌ったりするのはなぜなのでしょうか。
職場のあるあるで、職場に不満があるときに上司に相談したり、同僚で愚痴を言ったりすることってあると思うのですが、
極端な正論で返答するとすれば
「そんなに不満があるなら退職を考えてみたらどうか」
(もっとストレートに言うと「嫌なら辞めろ」)
なんですよね。
実際に私は以前の職場で上司に言われたことがあります。
当時はそれはもう悲しみましたよ…「私は要らない人間なのね!」って。
でも、よく考えると上司が伝えようとしていたのは「不満がある職場にあなたが無理をしてまで居続けなくてもいいのではないか?」ということだったのかもしれません。
また、いくら上司といえども「会社」の中での役割にすぎません。
100%部下の不満や問題を解決できないこともありますし、自分が解決できない不満や問題を部下から相談を受けたときには「退職」という回答しかないのかな、と今になって思います。
なんとなくですが、「正論」って受け取る側にも「正しく受け取る」心の準備が必要なのではないでしょうか。
私自身も感情を持った人間です。
その日の体調や気分によっても相手の言葉の受け取り方も変わるでしょう。
また、相手からの「正論」に対して嫌な気持ちになるか、受け入れられるかは日頃の「相手との関係性」にもよりますね。
ただ、「相手との関係性」って自分は相手と良好な関係が築けていると思っていても、実は相手にとってはそうでもなかったり、憎まれていたりってこともあるかもしれません。
相手の気持ちは相手のものだからそれは仕方ないことです。
だから、「正論」を相手が「正しく受け取る」準備ができているかどうかなんて正直わからないんですよね…
では、どうすればいいのか?って考えたとき
私自身も結構「正論」を言う方なので
もう、「正論」なんてもちもちした求肥に包むつもりで言うしかない!のではないでしょうか。
以前上司に言われた「職場が不満なら退職を考える」という正論をもちもちに包むとどうなるか自分なりに考えてみました。
あなたは職場に不満があるんだね。
もし、この不満や問題であなたが無理をして体や心を壊してしまうようなことがあれば、私はそれが一番悲しいことだから、
退職するというのも1つの選択かもしれないね。
働く場所は自分で選べるからね。
なかなか絶妙なもちもち具合が出せません…
私がもし相手が職場への不満や問題で退職を考えていたとして相談を受けたら気をつけたいのは、相手に「自分で決めさせる」ことです。
「自分がどうしたいのか」
私もいつも忘れないように考えるようにしています。
「正論」って、その言葉の通り「正しい」んです。
だけど、「正しい」は悪いことではないのに嫌われてしまうのは、やっぱり相手への伝え方なのではないでしょうか。
(一定数の何を言っても自分と相反する人を別として。これは本当に一定数いる場合があるので仕方ないと諦めるしかないときもありますね。)
私は大福が好物のひとつなので、相手から「正論」と言われたと思ったら、まずはもちもちの求肥を思い出すことにしています。
(もちもちの求肥に包まれたアンコと苺って美味しいよね!)
本日もお読みいただきありがとうございました。