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高さ4mの板碑「寅子石」を見に行きました

埼玉県蓮田市にある板碑の寅子石を見に行きました。

そこは田んぼ道の中にある小さな墓地で、入り口には赤い花が満開に咲く木があり落ち着いた雰囲気の場所でした。墓地の中にある一際背の高い石碑が寅子石です。石の色は青みがかって美しく、深く掘り込まれた文字は普通の漢字の書き方とは違い異彩を放っていました。梵字とよばれる文字だそうです。そしてものすごく背が高く大きいのに真っ直ぐに立っていました。

迫力満点の寅子石
真っ直ぐにそびえる寅子石の根元

板碑(いたび)とは、供養塔として使われる石碑の一種で秩父産の緑色片岩を加工して造られていて、青石塔婆とも呼ばれているそうです。主に関東に分布し、設立時期は鎌倉時代から室町時代です。

今回訪れた寅子石は、埼玉県で2番目の高さ4m の板碑で鎌倉時代の延慶4年(1311年)に唯願法師が真仏法師(親鸞の直弟子)の報恩供養のために建てられました。

そしてこの板碑には寅子石と呼ばれる所以である恐ろしくて悲しい伝承話があります。

この付近に住む長者夫妻には、寅子という見目麗しい娘がいた。一説によると、寅子は実の子ではなく、承久の乱後に姿を消した三浦義直という侍の娘であり、母子で父を求めている最中に母がこの地で病を得て亡くなったために長者の娘になったという。成長するにつれてその美しさは際立ち、周辺の若者達は毎日のように長者の許を訪れて嫁に欲しいと頼み込んできた。最初は喜んでいた夫妻であるが、求婚話のせいで周囲でいさかいが起きるようになって、却って心配事に変わっていった。そして寅子も自分のためにいがみ合い騒ぎとなる状況に心を痛め続けたのであった。ある時、長者夫妻は寅子に求婚してきた若者全員を酒宴に呼んだ。いよいよ寅子の婿が決まる時と若者達は勇んで屋敷を訪れた。そして豪勢に盛られた膾を肴にして酒を呑みその時を待ったが、一向に肝心の寅子が現れない。業を煮やした若者達が長者に詰め寄ると、長者は涙ながらに真相を語り出した。皆の者に求婚され悩み果てた寅子は自害しました。最期に「皆様に等しくこの身を捧げたい」と望んで死にました。先ほど出しました膾こそ、寅子の腿の肉。寅子の遺言通り皆の者に等しく分け与えました。その言葉を聞いた若者達は言葉を失い、そして己の浅ましさを恥じ、寅子の冥福を祈るために全員で供養塔を建立したという。さらに出家をする者もあり、供養塔が見える土地にそれぞれ自分たちの俗名にちなんだ源悟寺・満蔵寺・慶福寺・正蔵院・多門院を建てたとも伝わる。

「出典:日本伝承大鑑(寅子石)」

最初にこの板碑について調べたときにはこの伝承話には気づかず、弟子が師匠の供養のために建てた供養塔という認識だったので、見学後この伝承話を知った時にはゾクッとしました。場所も田んぼの中にぽつんとある墓地なので夜はこわそうです。そして入口の赤い花の木も意味深に思えてきます。

今回は埼玉県で2番目の高さの板碑「寅子石」の圧倒的な存在感、怪しく咲く赤い花の木、竹取物語の怖い話のような伝承話も全部合わせてとても貴重な体験でした。また、様々な板碑を巡ってみたいと思いました。


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