色鮮やかな布の先に
数日前の暑い日の午後、私たちの古い車はクーラーが効き始めるまで時間がかかるので、窓を開けてドライブしていた。
私は運転免許を持っていないので、運転は専らパートナーであるベンに任せている。
信号待ちで止まっている間、目の端に鮮やかな何かが映り込んだ。
助手席の窓から身を乗り出すと、それはひなびたアパートメントビルディングの、非常階段に干されていたインドの美しい布達だった。
ニューヨークの非常階段は、古いビルの場合は建物の前面、窓のすぐ横に位置している。なのでちょっとしたバルコニーかのように、勝手に観葉植物を置いたり、ライトアップしたり、洗濯物を干したりしているという風景をよく目にする。
この色鮮やかな布を干した住人も、いつもこの非常階段を物干し場として使っているのかもしれない。
それは、本当に美しい光景だった。
ニューヨークの、暑い日特有のどっしりとした、明るいくせにエネルギーが渦巻きすぎてうんざりするような空気感の中、それは本当に爽やかな神聖さがあった。
古いビル、もう何年も手入れされていない煤けたレンガの外壁、エントランスのドアもボロボロだ。決して美しいと言えないその風景の中に、鮮やかな赤や黄色、緑の複雑な模様が風になびいて、信号待ちのその数秒の間に、ハッとするほど心に迫ってきた。
それはきっと、その風景の物語を想像することができたからかなと思う。
インドの民族衣装、移民の家族かな。ビルの感じからして、あまり裕福とは言えないだろう。よく見ると、小さなサボテンの鉢植えも置いてある。どんな状況でも生活を楽しんでいるたくましさ、家族みんなで一生懸命生きている、そんな様子を勝手に想像してしまった。だってニューヨークにはそんな家族がたくさんいる。私も含めて。
透ける素材の色鮮やかな布の向こう側に、暑い空の青が見えた。
誰かの物語も、その光景の向こう側に見えた。
心に何か響くって、そういう事なのかなと考えたりした。
目に見えている美しさ(それがどんな種類の美しさであれ)の奥に、その物語が見えた時。その奥に、自分を重ねることができた時。または、理解を深めることができた時。
私のタトゥーも、そんな形でありたいなと思う。
ぼんやりそんな事を思いながら、車内のクーラーがやっと効いてきたので窓を閉めた。