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【ショートストーリー】Vol.11 いつかの書きかけの記憶。

めちゃくちゃ手が綺麗と思った。これはめちゃくちゃ綺麗なんじゃないかって。誰かに褒めて欲しい。カメラで手を写してみようかとも思ったけど、台所の明るい蛍光灯の下で改めて見たら、なんてことないただの普通の手だった、そうか、それが36歳の手かと思った。

ホタルイカの目玉を取りながら、後ろで流れている震災10年のニュースを聞く。

あの時私は、揺れるビルの中で「えっ、死ぬ?」と思ったのだ。10階のビルの一室、おそらく耐震構造のせいでとてつもなくそのビルは揺れ回ったのだ、遠心力に従って立つ隙を与えないくらい。信じられなく怖いアトラクションくらい。本当にピンチの時、人は己を優先するものだし、冷静な判断は難しい。揺れがおさまった瞬間、上司の指示でとりあえず外にでて、エレベーターは止まっていたので非常階段で下に降りることにした。

私はその日に限って、厚底のヒモぐつを履いてきていて。皆次々に靴を履いて一目散に階段の方へ走る。怖い、私はここに取り残されて死ぬ?と思いながら、必死に靴を履いた。今思えば、履かなくていいから靴下で逃げれば良かったのだ。26歳の私にはそんな簡単な判断もつかなかったし、おしゃれのつもりで履いてきたその靴が、初めて憎らしく思った。しばらく持っていたが、二度と履く気になれず捨てた。

死ぬ?と思うといえば、19歳の時に沖縄旅行をした際、死のキワまで行った感じがした経験をしたことがある。ざっくり割愛すると、死亡事故が3回起こった場所で事故を起こし、奇跡的に打撲だけで済んだという出来事があった。車は雨の中スリップし確かに3回転くらいはしたのだが、標識にぶつかって跳ね返り静止した。二車線の真ん中に。ちょうどどちらからも車が来ていなかったが、後方には大型トラックが止まっていてクラクションを鳴らしていた。事故の音を聞きつけて、近所の住人が様子を見に出てきてくれて、警察の検証が終わるまで家で休ませてくれ、その後病院からホテルまで送ってくれた親切な人がいた。今思い返しても、死に直面した実感はないけど死亡事故が3度も起こった場所で、死なずに済んだことは奇跡と思ってはいる。

助かったのは、前日訪れた海辺に並んでいた古いお墓?のようなものがあり、そこで私は声には出さずにお邪魔してすみません、何かをしようとしているわけではありませんので、どうかお怒りならないように...的なことを念じたので、その方々にお守りいただいた気がしていたのだが。捉え方ひとつで違うのだと思ったのは、一緒にいた彼氏はあそこに行ったから事故にあったんじゃないかと言っていた。どっちが正解などはないが、私は守っていただいたと思っている。

形のないものについて考えたりする。

死ぬ危機という“受け身”ではないけども、”自ら”死にたいと思っていたのは、さらに遡ること14歳の時、しょっちゅうベランダから飛び降りようとしていた。その度に、母と姉が止めていた、泣いてもいたんじゃないか、今思うと申し訳ない。両親の関係が不安定だったこと、思春期に重なっていたこと。それだけの理由だ、でも思春期のこころは本当に不安定。ちょっとしたことで思い詰める、ちょっとしたことで死にたくなるのだ。

そして、23歳の時、そこから1年後の24歳の時、立て続けに身近な人が亡くなった。それも同じ5月、6月のような鬱々とした時期だった。23歳の時に亡くなったのは元同僚の人で、24歳の時は同じ夢を志していた同志だった男の子である。身近な人の死は、自分のせいだったかもしれないと思ってしまうもの、その時強く感じた。本当はそうであったかもしれないし、答えは亡くなった人にしかわからない。どちらも自ら命を絶ったのでは、と聞いている。

そして今、そこから12年後私は自分の手を眺めて呑気に綺麗だなと思ったりしている。馬鹿みたいだ。生きるって真剣なことではあるが、真面目でなくて良いのだ。自分に言っている部分もある。24時間経つ時と気持ちが180度変わるから不思議なものだ。

そう、やはりホタルイカには辛子酢味噌がよく合う。

<終わり> 1,669文字

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