
石原軍団になりたくて
「石原軍団」になりたいと、ずっと思っている。
それは社会人1社目で自分の無力さに打ちひしがられていた時に流れてきたニュース番組。被災地に温かいものを大量に運搬している様子をみた時からずっとだ。荒れた心で見る悲しいニュースに、知らず知らずのうちに傷ついてしまっていたのだろう。若い心というのは守りが甘い。
屈強な身体は、立ち上がる希望。
湯気の立つ鍋は、そのまま人の体温となる。
苦しい報道の中に時々流れる人が人を助ける姿に、私自身も癒された。その象徴的な映像が、炊き出しだった。
学生時代も大した成績をおさめられず、社会人になってもパッとせぬ働きで先輩の足を引っ張っていて、手を差し伸べてもらう側の人生だった。けれど、あのニュース映像を見て「自分もいつか誰かを助く側になりたい。」と強く思ったことを覚えている。
数ある炊き出し映像の中で、なぜ石原軍団に惹かれたのか。自分なりに分析してみた。
ひとつはスケールのでかさ。とにかく、巨大。もともとは1日に100人単位で動くドラマや映画の撮影現場の食事提供から始まった石原軍団は、とにかく装備が巨大。太陽の塔、奈良の大仏、巨大スズメ。思っているよりスケールのでかいものはそれだけで高揚感がある。
そしてやはり、屈強な肉体で快活に振る舞う俳優さんたちの姿。どれだけ寄り添い、膝をかがめても腰を落としても心身の屈強さは溢れ出る。力が溢れるような佇まいは理想的だ。打ちひしがれた人には、力強い言葉よりも説得力があるような気がした。とにかく元気であることの価値。
さてここで中間報告です。
あれから12年。憧れの石原軍団に少しくらいは近づけているのでしょうか。
今の私が手に入れたのは、20代の頃より少し屈強な肉体。毎日きちんとしたものを食べて、3駅分の自転車をごしごし漕いで、13キロの生き物を抱えて。そして1日100食の仕込みの現場にもできる限り立っている。石原軍団とはいかないけれど、私史上かつてないくらいに、屈強ではある。相変わらず気を失って床で寝るような日もあるので、どこでも寝れる。丸く上手になんて、生きていない。
料理の装備や腕も身についた。コロナが明けて撮影現場へのホットミール(炊き出し)を開始。ひとりではなく、チームで「できる」という確信が手に入った。私たちは、足腰を鍛えて100人単位の食事を提供できるようになった。
それから軍団とまではいかないけれど、チームもできた。ミス無病息災の私の右腕。美大。栄養士。割烹。ダンサー。古着屋。スーパー助っ人。会計。個性が尖っていて無理やりまとめようとすると破けそうになるけれど、素晴らしいチーム。
足りないのはスケールとお金。そして車。何かが起こった時に他人のためにポンと出せるお金があればあるほど、できることのスケールは大きくなる。石原軍団は熊本の震災で1200食のお汁粉を振舞ったと、ネットニュースで読んだ。材料費、人件費、輸送費宿泊費。被災地に迷惑をかけないのは車中泊が基本なのに車の運転が苦手。母は運転もキャンプも上手なのに、与えられるばかりでちゃんと教わってこなかったのはもったいない。
ただ助けを受け取っていたあの頃に比べて、少しずつ、確実にできることは増えている。
食費電気代高騰、海の向こうの戦争温暖化。国会での差別的な発言。地震。心の防御を緩めると、入ってくる情報に落ち込みそうになる世界ではあるけど。もう落ち込まない。
次こそは、人に手を差し伸べることができるようになりたい。