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私たちの舌は遊園地より自由だ

私の生活はすごく自然体だ。それは、自然の力で発酵させた納豆を食べて、オーガニックの野菜を毎日蒸して食べている自然体ではない。もっとこう、本質的な自然体なのだ。

カップラーメンをたべる


わたしは、日清トムヤムヌードルに目がない。疲れたときの自分へのご褒美はトムヤムヌードルだ。時々無性にポテトチップスが食べたくなったりして、1人で1袋あけたりする。そういう時に「ああ、なんて私は欲望に忠実なんだろう。自然体すぎる」と思ったりする。

マクドナルドを食べる


マクドナルドも時々食べる。味自体は特別美味しいと思うことはないけれど、子供の頃「スイミングの時に時々、時々だけ食べさせてもらえたご馳走」という記憶が味以上の美味しさを持っていると思う。これが、世界ブランドのすごさ。ちなみに私はポテトはふにゃふにゃ派。息子はカリカリ派なので、利害が一致している。

甘いものは時々食べる


実は甘いものは卒業した。狂ったようにスイーツにハマった時期もあったけれど。今の私は、わたしは頂き物のお菓子をポケットの中にいれて、いつか食べよういつか食べようと思い粉々にするという悪癖がある。ごはんを食べることが好きになってしまったので、甘いものを食べるタイミングを逸してしまったのかもしれない。でも、イズミヤのクッキー缶には惹かれるし、ハトサブレをいただくとうれしくなる。ラデュレのマカロンなんて最高だし、冷凍庫には半年もののハーゲンダッツがいつも眠ってる。甘いものも、好き。


スナック菓子大好き


しょっぱいお菓子は好き。特に私はピーナツ揚げが好き。祖母が好きだったピーナツ揚げ。あと、無性に「味ごのみ」が食べたくなる時がある。

私の舌は、どうあるべきか

料理の仕事を始める前から、食べることそのものには興味があったのでいろんな食生活をしてきた。玄米菜食にハマったこともある。まわりには気づかれないように「お酒飲む時はあまり食べないんです」と言い、外食も続けながらストイックにやった。ちなみに玄米菜食を辞めたきっかけは、低血圧と貧血で健康診断にひっかかったから。ハマっていくのは楽しかったけど、健康のためにならないならと、あっさり辞めた。

発酵調味料に憧れて

発酵にあこがれて、酵素ドリンク作りなどもやったし。味噌作りもやった。でも、どうも仕上がりに自信が持てない。市販のほうが美味しいような気がしてしまう。鶏の屠殺だって、やってみた。けれど、それでも食欲はおさまらなかった。命のありかについてはやはり今もわからない。野菜にも命があるのではないかと思うし。

清廉潔白ではないのに健康な身体


どうして私の体は、清廉潔白じゃないのだろう。動物を食べ、時々不摂生をしているのに、この頃の健康診断はオールAだ。体質的に風邪をひきやすいけれど、それはそれとして内臓は綺麗。快便、快食。肌荒れもほぼしなくなった。

私たちの舌は、修道院じゃなくて遊園地なんだ。いろんなものを楽しめるようにできている。

と、誰だか、どこかの著名な料理人が言ったらしい。あぁ、そういうことなのかもしれないなぁと思う。

納豆を作れたら素晴らしいし醤油を作れるようになりたいけれど。私は、納豆を使って料理を作りたい。醤油を使って料理を作りたい。世界の食べたことのない美味しいものにトライして。遊園地ではなくて、世界旅行だって楽しみたい。

心を広く持っておれ、世界は心の中にある。

これは私の座右の銘なのだけれど。心だけではなくて舌もそうありたいと思う。世界を楽しみたいので、戒律の外に出るしかない。あれはダメ、これはダメ、と管理される世界は案外居心地が良く思考を手放していいので簡単だ。でも、例えばボランティアで新しいルールに触れるたび「なぜアレルギーでもないのにこれを食べないのだろう」「なぜこの人はこれが嫌いなんだろう」と相手のことを考えるきっかけになったりする。私の舌は、多分そういうふうにしていくほうが性に合ってるのだろう。

これからも料理を通じて、この遊園地よりも自由な舌で、人と関わり合っていきたい。

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