今年もこの日がやってきた。 2023.3.11 全然あっという間なんかじゃなかった。 けど長いとも感じなかった。 12歳だった私が、24歳になった。 小学生6年生だったのに、社会人2年目を迎えようとしていている。 辛いしんどい、誰も理解してくれない なんで自分だけがこんな思いしなきゃならないの そう思い込んでいた震災から3年間後、人生の歯車が動き出し、数えきれない数々の出会いと経験で生かされて、背中を押してもらい、今の私がいる。 私にとって今日はそれを思い出して
ちょうど7月7日を迎えた夜中は珍しく寝ていた。 5時半に起床して、友人たちからのメッセの数々で素敵な一日の始まり。 社会人1年目。 怒涛の研修の日々で、変化の多い毎日。 成長を感じる暇もなく、気づいたら1日が終わる。 数週間後にどこに配属されるかもわからず 全く確信のないスケジュールにおいても周りの友人や同期のおかげで乗り越える日々。 そんな毎日を送っていますが、本日24歳になりました🌻 ちょうど本日から出勤地が変更になり、21階というまーまー高い場所から河川敷を
3月になると自然とあの時期を思いだす。 今年も3月11日がやってきた。 12歳だった私は、23歳になった。 気づけば、11年の時が流れていた。 月日が流れたのか、時を重ねたのか、 時が過ぎたのか、季節が巡ったのか、 子どもだった私も、大人と呼ばれる年齢になった。 震災を経験した小学校時代 苦しかった中学校時代 外の世界を理解し始めた高校時代 自由になれた大学時代 そして今年、5年間の大学時代に終止符を打ち 社会人として新たな一歩を踏み出す。 あの頃の私が想像もして
このnoteを書き始めたのが2021年3月11日の0時00分。 「あの日」から10年たった。 宮城県の沿岸部に住む12歳の少女だった私が、22歳の大学生になるほど時が流れた。 この10年、何があったか振り返ってみると「激動」という言葉がしっくり来るような気がする。 読む人も限られてるだろうから正直に話せば、辛い思いもした。 周りの大人や友人を信じられなくなった時期もあった。 PTSDになり、感情のコントロールがうまくできない時も過ごした。 けど、そんな人生の暗黒期と呼
今年もこの日がやってきた。 前日に降っていた大雨は日にちが変わる頃にはすっかり晴れて 空には大きな月が強い光を放って私に降り注いでいた。 そう、今日は3月11日。 何年経っても忘れられない日。 きっと一生忘れない日。 小学6年生だった私は、いつの間にか21歳の大学生になった。 数年前までは「まだ○年か」と感じていたが、 今年はなぜか「もう9年か」と感じている自分がいる。 何かが自分の中で変わったのかもしれない。 きっとそう。 昔はよくFBなどで当時のことを日本
っていうアイディアのもと全国からセブンスピリット関係で集まった日本公演スタッフの皆さん@大阪 きっと、この中の大半。。もはや全員が子どもたちのために集まった。 あの子たちにはまた会いたい。って思わせる何かがある。 本当にステキな団体だと改めて思う。 日本公演お疲れ様。 またセブであろうね。 2年前にインターンしてた時は前回の日本公演の後で参加できずに、 子どもたちに "I wish I was there~~~"ってずっと言ってた。 けど今回は初日から最終日までサ
何でもあるようで、何もない街。 目的意識を持たなければ、どこへも行けない。 しかし、行こうと思えばどこへも行ける。 何かしたいと漠然と考えているだけでは、何もつかめない。 しかし、一歩踏み出した人には優しく背中を押してくれる環境がある。 動けば動くほど、驚く程にスピード感を増して景色が変わりゆく不思議な街。 2年前、止まりそうになった足を少し踏ん張って前に出してみた。 気づいたら、随分と遠い場所へ来ていたようだ。 久しぶりに立ったこの街は、何も変わらない。 人々
休学を決意した時に、ここに来ることを何の迷いもなしに決めた。 この半年間、セブにいることは私にとっての「あたりまえ」になっていた。 プログラミングを勉強することが一番の目的だったが、それと同時に忙しい日本での生活から脱出して、将来についてゆっくり考えたいというのも理由の一つだった。 勉強を投げだして、ジプニーに飛び乗り、大好きな子どもたちに会いに行くのは日々の楽しみでもあった。 そんな生活もあと1日で終わる。 明日の早朝には飛行機に乗り、5時間かからずに成田に着く。
2019.07.07 ついに21歳になった。 この前まで中学生だった気がするんだけどな.. 21歳ってもっと大人だと思ってたんだけどな... あれ、いつの間にか母が兄を産んだ歳になってる... なーんていろんなことを考えながら迎えた七夕。 誕生日は自分にとって大切な場所で、大切な人たちと過ごして、一日中笑ってたな〜。 21歳はどんな1年になるのだろう。 5年前は全く想像もしていなかった場所で、想像もしてなかったことをしている。 将来のことを考えなければいけない年齢
偶然なのか必然なのか、 大学2年が終わったタイミングで休学の選択をした。 特に深い理由なんてない。 このまま大学で机に座っているだけの日々に嫌気がさした。 ただただ出席して、100分間座ってるだけ。 学業とは関係のないことをして、たまに昼寝をする。 東京の有名私立大学に入学して、私は世間的に「恵まれた大学生」のレッテルを貼られ、大学名を出せば「将来安定」だろうと言われる。 私には「安定」なんてどうでもよかった。 どこかで、がむしゃらに、全く知識のないものを0から
毎日うまくいくことばかりじゃない。 今だって、プログラミングの勉強に必死に遅れないようについていくので精一杯。 午後の英語の時間には脳は疲れ切って最後のクラスに至ってはもうパンク状態。 他のバッチの方がプログラミングに加えて未知の英語勉強で大変なのは理解できるが、だからと言って私のプログラミングの留学が楽なわけでは決してない。 けど、 寮の玄関に立ってるガードさんたちとビサヤ語で挨拶したり フィリピン人の先生たちと授業そっちのけでアホな話したり ランチのケータリ
「あなたは強い。」 嬉しいことにたくさんの人にそう言ってもらえる。 けど、私は決して強いわけではない。 ただ、 自分のペースでゆっくりここまで来ただけ。 人によって歩むスピードは違うし、歩む道も違う。 ただ、 目の前に訪れたチャンスを残さず掴んできただけ。 人は、新しいモノやコトに出会うと、 ・時間がない ・お金がない ・親が許してくれない などといってその機会を逃していく。 けど、そのチャンスは2度と戻ってこないことには気づかない。 「チャンスの神様は前
もう何度この場所に来たのだろう。 海外へ行くときの玄関となる「空港」。 初めての海外に怯えていた中学3年生の私は もう一人で航空券をとって、飛行機を乗り継いでどこへでもいける。 あの時の私はもういない。 半年間日本を離れることもなんてことない。へっちゃら。 高校生だった時に10ヶ月も一人で知らない言語を学びに、一人で飛行機を乗り換えて、初めましてのファミリーのもとで生活できたんだもん。 慣れてるフィリピンでの生活なんて大したことない。 と思ってた。 けどいざこ
ずっと誰かのために全速力で走ってきた。 スタディーツアーの引率、TABIPPO、DREAM、東北支援のNPOにスリランカのNGOの活動も全て根底には「誰かのために」があった。 振り返ってみると「誰かのために」は私のこの1年の生きがいだった。 しかし、今年度は一旦それを全てストップして 「自分のために」 生きてみようと思う。 「勉強に集中したい。」 それも、今までの私の興味関心から最も離れていると言っても過言ではない、IT系の。 きっかけなんて単純で、 「自分
2018年5月20日のキックオフを皮切りに始まったTABIPPO2019東京支部の活動が終わった。 あっという間だったと言えば嘘になるが、終わってしまえば一瞬だったように感じる。 7月にチーム分けがされて、2月20日に開催されたBackpackFESTA東京まで走り続けてきた。 当日はたくさんのお客さんが神奈川県民ホールに集い、 「若者が旅する文化をつくる」 私たちの1年間の活動の集大成の日だった。 ここにくるまで、たくさんのことを越えて、仲間と熱狂してきた。 何を
ちょうど2年前に参加した 「Cebu Spring Camp 2017」 大学に行く前に発展途上国を覗いてみたかった。 なんてかっこいい理由ではなかった。 --------------------------------------------- ただ、私の人生を変えてくれた人の新たな挑戦を1番にみたかった。 ただ、私の人生を変えてくれた人の住んでいる国をみたかった。 --------------------------------------------- それ