コツ。
2022.2.8
感じることが命の基本だそう。
スマホやネットのなかは、
感じなくて良い逃げ場。
感じなくても、やってる充実感はのこる。
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神田橋條治 著『心身養生のコツ』より。
↓↓↓
『ボクは《論》があまり好きではありません。論は正しいか誤りかと考えます。
(中略)
ボクは《物語》が好きです。
物語はフィーリングの世界ですから「正しい、正しくない」を言いたてません。
「信じるものは救われる」物語と「信じるものは騙される」物語とが、排除しあうことなく両立している曖昧な雰囲気が、「いのち」をなごませます。』
『世の中で言い立てられているいろんな分野での《論》のフィーリングを感じ取り
《物語》と読み替えてみるのを習慣にすると、
「いのち」がほっこりして、読み替える作業がそのまま養生になりましょう。
読み替えを許さない雰囲気、フィーリングをまとっている《論》に出会ったら、
「いのち」が「ひやり」とするはずです。
恐ろしい事態が迫っていることへの予感です。(中略)
「多数決の暴力」「個を抹殺」「主観の排除」「いのちの無視」』
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《主観》というのは、なんというか、表現してはいけないものだと思っていた。
視覚というものは、本当に人それぞれ違うもので、
目でみている映像というのはかなりボヤけたものだ。
体験や知識によって脳がかなりの部分を補正している。
アメリカ先住民には、コロンブスが乗ってきた船が見えなかった。
「見たことも想像したこともない物体だったから」
私には気になる小さな床の汚れも
夫には本当に見えない。
それは視力の問題ではない。
日々床を掃除しているのは私だからだ。
それを夫に「どうして見えないの?」というのは
なんとも理不尽なハナシ。
人は視覚でさえ主観で左右される。
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生徒さんに練習プリントを渡すことが多い。
その処理や保管の仕方が実に様々で興味深い。
綺麗にファイルするかた。
ぐちゃぐちゃにまぎれるかた。
厚紙に貼られるかた。
無くすかた。
様々である。
これを評価することもおかしい。
人それぞれ、そのプリントの価値と見え方、使い方は様々だ。
大事なのは「それで良い」ということ。
まとめない方に、無くすかたに
まとめていただきたいときは、
私はノートにプリントを貼ってお渡しし、
「このノートにこれから追加のプリントを貼ってください」
とお願いすれば良い。
それ以下でも以上でもない。
私がテープとハサミを持っていれば解決する。
この部分だけ練習してほしい。
でも、できない。
そういうかたには、
その部分だけ楽譜を切り取ってノートにはる。
それで解決。
ちびっこには、その曲の横に、
その曲に必要な練習の手書きプリントを貼り付ける。
ちびっこには色彩りの音符にすると、目に入るみたい。
その子の好きな色を使うようにする。
その人に、見えるか、見えないか。
人にはそれぞれの物語がある。
その物語が交差する感覚を
こういう些細な出来事から感じる。
生徒さんそれぞれのオーダーメイドノートを作っていると
そのひとの物語を読んでいるように感じて、
大変だけど
私が楽しいことは確か。
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クラシック音楽という伝統芸術を仕事にしているので、
歴史的に見て正しいか?
を常に考える。できるかぎり調べる。
それは絶対に欠かせないことだと思う。
ただ、その事実から
どう感じ、表現するのは
「主観」であるということに最近気づいた。
当たり前なんだけど。
それは現代音楽を取り組むようになって初めて気づいた気がする。
「主観」が「正しい」か、
証明しないといけないと思っていた。
でも違う。
「私」が、「今」生きていて
この楽譜から、
こういう過去から、
こういう情報から、
こう感じました。
と言っても良いんだと。
それが、録音でなく、
生で演奏する、
その、今、生まれる、消えゆく音を共有する、そこに拘束させる、拘束する、
立ち止まり共有する
それが演奏するってことなんだな。
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【10日目】
①基礎練
②フォーレ3楽章
③フォーレ3楽章
④フォーレ3楽章
毎日の練習というものの組み立て、四苦八苦する。
文章書く、そんな大それたことでなく、
日々自分がここに立っていると確認するために書き始めたこのブログの日記も、毎日続けてもうすぐ3ヶ月。
昨年は、意図的に弾かない日をつくっていたけど、
そんな感じで、日々の練習も最近は毎日ルーティンをしている
それはやっと10日目。
回していけば、いつかは弾けるようになる。
死の後の考えず、言い訳せず、
やればいい。
やってだめなら、戻れば良い。
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【赤いハリネズミの会】に
毎日日記を書いてます。
https://igel.simdif.com/blog.html