歴史の拡張 (0)
昨朝書いたnoteもtweetのことで(twitterのは消してしまいましたが)
今朝も 多様性の統一 というのがtwitterでトレンドになってたのを見かけ、
それは 国家観 ということかと思いまた書き出しているのですが
タイトルは難しいですが、以下きっとずっとひとりごとになります。
昨日の眞子様のお言葉には堪えました。それで考えています。
現在アフリカで起こっているような戦乱の続いたことがあり、2010年代はかなりの時間をバンコクで過ごしました。
ここは..今年1月に急に旅立ってしまったアトリエのマネージャーのマリさんが亡くなって書きはじめ、前々回マリさんが昨年末に最後に手がけたドレスのお式の記事で、終えたつもりのnoteでしたが、
バンコクのアトリエで眞子様や佳子様の、未来の晴れの日のご衣装のことなど話したことが思い出されて
秋篠宮様と眞子様はよく来タイされました。日本の皇室がタイに伝えて皆が食べられるようになった魚を、毎日マリさんは夜食に食べていました。
昨朝、前回のnoteを書きながら、歴史ということを考えていました。
物語の分かりやすさと事実ということの多様さについてのtweetを読んで
一昨日、以下のtweetをしていました。(消したのですが)
>分かりやすさと多様性共存の道があるとしたら
手段は史観ということしかなくて
史=歴史=物語、観=世界観、とは事実。
つまり、耳と、目のこと。聴覚と視覚ということ。このことは歴史を
物語と捉えるか事実と捉えるかということに関係するように思えました。
昨日眞子様は、事実でない事実が物語として広がってゆくことの恐怖心、
誹謗中傷がまだ今後も続くのではないかとという言葉にされたようでした。
その晴れの日に内親王が恐怖という言葉を口にされることの、いかに病んだ現状であるのかを、きっと心でマリさんと共に考えたくなって、また自分はこのnoteを書きはじめるようです。寂しくても我慢しなくてはと思っていましたが、一周忌までこうしていてもいいかなと思えるまで落ち着きました。