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大川隆法著「真実を貫く」ポイント解説④

この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!

私の記事では、大川隆法先生累計3500回の法話3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。

本日は新刊、大川隆法先生の最新刊「真実を貫く」のポイント解説に挑戦する回になります。

少しずつ進めていく予定ですが、皆様どうか温かくお見守りください。



「真実を貫く」

「真実を貫く」は、2024年2月16日に発刊された大川隆法先生の最新刊です。

「この一冊が、世界の羅針盤となる――」

迫りくる世界情勢。核戦争など、地球レベルの危機を乗り越えるための、人類の進むべき未来を指し示す一書。

2050年までの未来をどう構想すべきかも語られます。

第3回目の今回は、第2章「宗教の本道を歩む」より、第1節「『宗教の正邪』は、”多数決”だけでは決まらない」、第2節「聖人の説く真理が同時代に認められることの難しさ」のポイントをご紹介させていただきます。



「宗教の正邪」は、”多数決”だけでは決まらない

まず私は言っておきたいのですが、「宗教の正邪や『これこそが本道だ』という問いに対する答えは、世論調査のようなもので出るものではない」ということです。
これは前提として言っておきたいと思います。

宗教は、無明(むめい)、あるいは無明(むみょう)と言ったほうがいいと思いますが、数多くの迷える、名も知らぬ人々の集合に対して、一定の秩序をつくり、道をつくり、歩むべき方途を示すものです。

その意味において、いろいろな人の意見がどうであるかというようなことの集合を分類して、「『これが正しい』『これが主流である』『これが多数である』ということが、答えにはならない」というふうに思っております。

ある意味では、宗教とは、現代の学問や政治の原理とはまったく違ったものであるし、科学の原理とも違ったものであると思っております。

宗教の世界においては、たった一人が正しいこともありえます。
それが正しいかどうかが分かるには、五百年、千年、二千年の時間がかかる場合もあります。


ただ、正しいものが、現在ただいまにおいて、百パーセント評価されたり、理解されたり、受け入れられたりすることはないというふうに考えております。

むしろ、新しい宗教であるならば、それが出てくる必要は「その時代の、現時点の常識や多数の意見が間違い始めている」ということと必ず関係があると思います。

ですから、歴史的には、弾圧を受けることが多くありますし、迫害を受けることがよくあります。

後の世に見直されて正しく認められる場合もあれば、歴史のなかに消え去っていったものも数多くあります。

残念ではありますけれども、天上界の目から見れば光の大天使とか天使たち、日本的には大如来・如来・菩薩たちも数多く地上に下りているけれども、次から次へと敗れて、迫害され弾圧されて消えていっている歴史で、その正反対のものが勝っていることも数多くあります。

この今時点の段階で、何が正しくて何が間違っているか、それを示すのはとても難しいことです。

だから、「統計的手法による多数決だけでは決まらない」ということだけは明らかであって、みなさまがたが「その説かれる真理とは真実のものであるかどうか」「その説かれる愛は本物であるかどうか」「その説かれる聖なる心は本物であるかどうか」、これを、心を澄まして見続けなければ分からないところがあるのではないかと思います。

宗教の正邪が多数決によって出るものではない。

最初からこう来ましたか!というストレートな主張ですが、実際に、人類は多数決において間違うことがあります。

たとえば、今ではあくどい存在とされているヒトラーだって、民主主義的な選挙によって当選し、当確を現わしてきた人物です。

大多数が支持したとしても、その人の思想・行動が正しいかどうかは、後の世に与える影響まで見ないと分からないものかもしれません。

よって、今現在人気のある宗教のなかに、神仏の目から見て間違っているものもあるし、逆に、こじんまりとした宗教の中にも、良い宗教はあるかもしれません。

また、イエス・キリストが最期は一人で磔に遭ったように、宗教の世界においては、たった一人が正しい、という可能性もあります。

その説かれる真理が本物であるのか。

これを私たち自身が関心をもって追及していく中に、おのずと正しい宗教とは何かが見えてくるかもしれません。



2聖人の説く真理が同時代に認められることの難しさ

残念なことは、過去を見れば分かりますように、四大聖人といわれた方々もほとんどが、生きている間には完全に受け入れられたとは言いがたいというところです。
四大聖人というのは、釈迦、キリスト、ソクラテス、孔子です。


・孔子

孔子などは、一時期、生まれ故郷の国で司法大臣、法務大臣のようなものを一年ぐらいはやったかもしれませんが、あとは使われなくて、諸国を放浪して仕官の道を求めたけれども大臣にはなれなくて、その教えだけが後世、多く使われた方です。

孔子の教えを直接受けた方は3千人ほど、と言われています。

支持者を広げきれず、組織化まではたどり着けなかった印象です。



・ソクラテス

あるいはソクラテスです。
「ソクラテスの弁明」という、見事な滔々たる弁明をやって歴史に遺り、現代まで読み継がれているものがあります。
ただ、「ソクラテスは悪だ」と判定され、そして弁論の機会を与えられて名演説を打ったにもかかわらず、それをやる前よりも、やったあとのほうが、さらに「死刑にせよ」とい声が増えたという、まことに残念なことが現実には起きています。

「ソクラテスが教えている『神』はギリシャの神とは違う」ということで告発され、もう一つは「ギリシャの青年たちを惑わしている」という罪で告発されて、この両方とも可決されたわけです。

ソクラテスは、ギリシャの神である「ゼウス」を信仰していないと言う罪で告発されてしまいます。

人類の宝のような智者を、罪人として処刑してしまったのですから、人間たちの無知さが恥ずかしいかぎりです。



・イエス・キリスト

それから、イエスだって、この世的に見たらー今は、その丘は教会になっておりますから、見ることができませんけれども―「されこうべの丘」という所で十字架に架かって、槍でブスッと脇腹を刺されて、それで、ちゃんと死ねるように脚まで折られて、墓に埋められた方です。

イエス自身は「ユダヤ教徒だ」と自分では思っていたわけで、「ユダヤ教徒としてのメシアである」と自分では思って生きて、教えを説いて死んだ方でしょう。
だから、「同時代の信仰深い方々にも理解されなかった」ということです。

メシア(救世主)としてのイエスを、同時代のユダヤ人たちは理解できませんでした。



・釈尊(仏陀)

仏陀、釈尊は、四大聖人のなかでは比較的大成したほうに近いのではないかとは思います。
幾つか迫害に当たるものもあったことはありましたけれども、当時としては長寿の八十歳まで現役で教えを説いて、現代では百二十歳に相当すると言われております。
だから、「最長寿まで生きて教えを説いて、最期の教えまで遺っている」という方ですから、ある意味では、成功されて幸福ではあったのかなとは思います。

しかしながら、ゴータマ・シッダールタ、釈迦牟尼仏は、「自分の国の城であるところのカピラヴァスツを出て、王子の地位を捨てて、三年ならずも六年も修行をして、やっと降魔成道をして仏になった」ということになったわけで、その教団の教えは広がりましたが、両親を残して出家したあと、父王が亡くなり、釈迦族もなくなり、出家した釈迦族の五百人だけが生き延びて、コーサラ国の属国であった釈迦国というのは潰れて、お城のほうに残っていた人たちは全員、皆殺しになっているわけです。

釈尊そのものは、人生として、四十五年の説法を続けて、ある程度の規模の教えを説くことができたけれども、「王様の跡を継がなかったことにより、国自体は滅びた」という代償を背負っておりますから、四大聖人とも、みんな、ある程度の悲しみ―「諸行無常」「諸法無我」の世界を体験されたのではないかというふうに思っています。

ですから、この世的な成功・失敗だけで、それが真理かどうかを判定するのは、極めて厳しいことではあろうかと思います。

釈尊そのものは、祖国である「釈迦国が生き残ること」よりも、「教えを説くこと」を選ばれました。

他の救世主たちよりは、圧倒的に成功されて、幸福な晩年を築かれたのではないでしょうか。



3地上に降りたが成功しなかった宗教家たち

また、私たちから見て「天上界から出した救世主」と思われる方でも、この世的には認められないで消えていった方も数多くおります。
残念です。それが本当に残念だと思います。


・マニ(マニ教開祖)

キリスト教のあと、百年、二百年ぐらいのときに活躍したマニという方も、その教えはいったん世界宗教にまでその当時はなったのに、生きている間に、今度はゾロアスター教の反撃を受け、「皮剥ぎの刑になって殺される」ということになっています。

そして、その教えに帰依したことのあるアウグスティヌスという人が、「ああ、邪教に帰依した」ということを反省し、『告白』という本を書いて、いまだに読まれているわけではあるけれども、邪教ではなかったのです。

その直前のキリスト教について、「イエスは十字架に架かったので、失敗したかな」と思って、次に送り込んだのがマニだったのですが、失敗したかと思ったキリスト教が二、三百年たって、もう一回、立ち上がってきたので、そちらのほうが大きくなってきたということです。

そして、そのゾロアスター教というのも、マニの前身が説いたものだと言われておりますけれども、「自分が前に説いた古い宗教によって自分が滅ぼされる」というようなことが起きるのです。
こんなことが起きるというのは本当に考えられないことですけれども、現実には起きています。

・洪秀全(革命家)

あるいは、中国みたいなところでは、一八〇〇年代に「太平天国の乱」というのが起きて、洪秀全という方が、メシアとして、救世主として、清国の滅亡に際して革命を起こそうとして戦ったのですが、結果は、日本と戦えば負けてしまったようなあの清国であっても、宗教に対しては強くて、「おそらくは、洪秀全についていった方は五千万人ぐらいは亡くなったのではないか」というふうに言われております。
かなりの数です。
これは、今また台湾や韓国や日本に迫っている運命と似たものを感じることはあります。


ゾロアスターとマニの関係で悲劇だと思うのは、過去世の自分が起こした宗教と、現在ただいま自分が説いている教えがぶつかり、「自分が前に説いた古い宗教によって、自分が滅ぼされた」という点。

このように、天上界からは一定の割合で、人々を教え導く救世主的役割の方が生まれているものですが、その全てがうまく行っているわけでなく、試行錯誤を繰り返しています。



正しい宗教観がこの世で認められることの難しさ

ですから、この世的に「現在ただいま、それがすべて丸ごと認められる」というようなことは、基本的にないと思っていただきたいと思うのです。
ただ、そのなかにどれだけ自分の魂が共感するようなものを見いだすことができるかどうか、それを考えていただきたいと思います。

それは、宗教に対して面白くおもっていない方も数多くいますので、この世的には、幾つかの部分で否定されたり、被害を受けたり、非難されたりすることもあるでしょうし、認められないこともあるでしょう。

歴代の世界宗教であっても、同時代にその価値が認められることはありませんでした。

だからこそ、大川隆法先生としても、自分たちが一気に全てを認められることはないだろう、と達観しておられるのです。

また、自分の魂に深く共感するものを見い出だすためには、周りに流されずに、真実を見極める目が必要です。


私も正々堂々と、正しいと思った真理を伝え続けてまいりたいと思います。

最後に、このような機会を与えてくださった主に、心より感謝いたします。



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