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思考への同一化はエゴである。

「私は正しい」と思うのは、思考である。
思考には真実は存在しない。思考は最初から正しくない。
つまり「私は正しい」は、正しくない。

ある思考へと自分自身をはめてしまうとエゴが固定される。
「私は正しい」から、動けなくなる。

クリシュナムルティは思考を否定した。
エックハルト・トールもそうだ。
思考は情報処理し、概念を文類する。
この能力こそが対立や暴力を産んでいる。
「私は暴力的なものは嫌い。平和に生きたい」
だれもがそう思うけれど、そのように「思考」している時点で、
対立と暴力の種を、平和希求の種と同時に持ち歩いている。

芸術家はそれを感じている。それを表現する。
覚者はそれを言葉で伝導する。

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