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舞台メディスンと役者・田中圭

「メディスン」考と銘打って、作品について書こうと思ったのですが、「田中圭」考になってしまいました☺︎

「メディスン」の内容や圭くんの舞台での芝居に触れる内容になりますので、了解の上お読みいただければと思います。






舞台上の田中圭

今回の舞台「メディスン」では、ステージでの圭くんの姿が、ずっと舞台だけでやっていた役者のようだと感じました。
板の上(って一度言ってみたかった笑)の圭くんの姿は、映像で観る圭くんの姿とはまったく別の佇まいでした。
改めて、圭くんってこんな役者だったんだと驚きました。

圭くんは、デビュー以来ずーっとコンスタントに舞台に立っています。
ここでおそらく他の役者さんと少し違うのは、劇団に所属しているわけでも、プロデュース公演のカンパニー常連役者でもないというところです。
だから、これまで圭くんが出演してきた舞台は小劇場もあれば新劇もあるし「静かな演劇」もある。チェーホフのような古典もやってるけど、今回みたいな現代翻訳劇もあります。
表現はアレかもしれませんが、好き嫌いなく何でも食べる雑食。という感じです。
でも、このあたりが田中圭という役者のこだわりのなさだと言えるし、何より、舞台に立つ彼の佇まいを形づくったのは、間違いなくこの多岐に渡る演劇作品への積極的な参加であるといえます。

そこにいたのは全然違う人だった

世間の「田中圭」のイメージといえば、「テレビでよく見る俳優さん」でしょうか。
ドラマもバラエティもたくさん出演する圭くんは、そのどれを見ても出し惜しみせず、その時自分ができることを全力でやっているように見えます。

もちろん、舞台に立つ圭くんも全力です。
でも、舞台では本人を生で見られるという状況を含め、テレビで見る姿のどれでもない全然違う圭くんの姿を見ることができました。
わたしがそこに見たのは、小さなステージの上で全身全霊で演じているひとりの役者の姿でした。
自分の全部を込めて「ジョン・ケイン」を纏い、共演のふたりの役者と、生き物のようなドラムの演奏を、受けて受けて受けて受けて、そしてそれを一気に放出して最後の慟哭に至る。
そんな、とてつもない役者の姿でした。

「魂」の表現

これを毎日演っているのかと驚愕します。
すごく消耗するだろうし、実際時々SNSに投下される写真の表情はそれを物語るものでした。
それなのに、わたしは舞台の上の圭くんがとても楽しそうだと感じました。
でも、ジョン・ケインは演じるに楽しい役ではないと思います。
あんなに苦しんで生きている人を演じるのは、とてもしんどいはずです。
けれども、うまく言えませんが、圭くんの魂はそれをとても喜びながら表現しているように感じたのです。

わたしは役者ではないので、自分の仕事になぞらえてこのことを考えてみました。
とても苦しい、出口なんか簡単には見つからない、しんどいしんどい場面は、わたしの仕事に時折訪れます。
なんでわたしはこんなことをしてるんだろう。明日絶対ボスに「辞めます」って言おうと心に決めて、眠れぬ夜を過ごしたことは何度もあります。
でも、次の日現場に立つと、やっぱりわたしの魂はこの仕事が好きだと叫ぶのです。
あんなに苦しかったはずなのに、もっとこうしたいとか、次はあれをやってみたいとか思うのです。

圭くんの仕事もこれと似ているのかな、と思いました。(全然違うかもだけど。)
圭くんが、かつて自分の演じた役に対して「どんなに共感できない役でも、自分だけはその人物の最大の理解者でありたい」と話していたことを思い出します。

ラストシーンに集約されていた思い

ジョン・ケインはとても苦しい人生を送った人だと思います。
それなのに、ラストシーンは観ていてとても気持ちが穏やかになりました。
メアリーが横にいて、穏やかな気持ちでいられたジョンに共鳴したからかもしれません。
でも、観ているわたしがそうなったいちばんの理由は、ジョンがどんなに苦しい人生だったとしても、圭くんの魂が彼を演じる喜びに満ちていたから、その本質的な部分が届いたからだとわたしは思いました。

あのラストシーンは、皆さんはどう観られたのでしょうか。
ゆっくりゆっくり暗転していく舞台。
眠りにつくようにゆっくりと暗闇に引き込まれていく様子は、ジョンの命の終わりを表しているとわたしは受け取りました。
苦しい人生だったジョンだけど、最期はとても穏やかにその人生を終えたんだと思います。

その物語の結末の解釈と、圭くんが生きるジョン・ケインから受けとめた感情が、あの暗転で完全に一致しました。
だから、それを受け止めたわたしの心はとても静かで穏やかなものになったのです。
あんなに心が乱されて、辛く苦しい気持ちになっていたはずなのに、最後は波が引くようにすーっと凪になっていったのです。

これは、他ならぬ役者の芝居によるものだと思います。
これが、「役者・田中圭」の芝居の説得力です。

芝居が面白いからこそ

「メディスン」という物語にはいろんな解釈があると思います。
演出の白井さんは、レクチャーやポストトークで作品について話もされているようなので、それを聞かれた方々は一定の共通理解があるかもしれません。
加えて原書版にも関わらず戯曲を読まれた方もいるし、わたしが書いてることはただの印象でしかないかもしれません。

その上わたしは誤解を恐れず言うと、「メディスン」の物語自体にはさほどの興味を持っているわけではありません。(キッパリ)
わたしは演劇がとても好きですが、結構好みは狭くて、これまでも自分の好きな作家の舞台を主に観てきたところがあります。
役者めあてで作品を観るのは、実はそんなに経験はないのです。

それでも「メディスン」を観終わったあとのいちばん最初の感想は「面白かった!」でした。
数回観ましたが、毎回同じことを思いました。
特に好みの物語ではないのにこんなに面白いと思ったのは、その作品を演じている田中圭の魂に触れたからに他ならないと思います。
そして、圭くんの全身全霊を込めた芝居に共鳴して、同じように魂震える芝居を繰り広げた共演者を見たからにも他なりません。
ひとりの役者の芝居に触れて、わたしの心も踊りだしそうなくらいワクワクしました。
エンタメってすごいな。
これが、わたしの「舞台メディスン」のすべてです。
本当に、本当に面白かったです。

もっといろんな姿が観たい

こんなに心から面白いと感じる圭くんの芝居を、わたしはもっともっと観たいです。

日々テレビでその姿をたくさん見るのに、まだ違う姿があるはずだと思える「役者・田中圭」に、わたしはこれからも目が離せません。

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