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だって元からあるもんね、それに気づいただけのこと
バラの咲く公園に行って、顔を近づけていろんなバラの香りを吸った。それぞれ違う香りがして。
当たり前かもしれませんが、芳香剤やバラの香水の香りとはぜんぜん違うなあ。
ほのかなんですね。でも感じる。それぞれのバラの香りが違うことがわかる。
この香り好きだなあ、というのはあるのですが、それぞれ個性があって、そこに愛おしさを感じます。
それに気づいているわたし。これが直接経験なんですね。
存在に気づくこと。
リアリティ。
今ここで感じている。
生の新鮮さがはっきりと感じられ、生の実在が了解される。
本当のアイデンティティとは何なのか。
私は〇〇という名前で、何歳で、〇〇にすんでいて、どんな仕事をしていて・・・という、これがアイデンティティではなく。
自分は個別の存在であるというのは思い込みで。
それを超えたところにある。
個の私というのはいつも何かが不足していて、それをいつも探しているから、いっつも前のめりで。
何をするときも未来につながる目的を見つけるよう条件付けられている私たちは、何かが手に入らなければおかしいじゃないか、ということになってしまっていて、ず〜っとこのサイクルにはまってしまっていて。
この前のめりの姿勢を、まっすぐにしてあげて、抵抗がなくなると、ストーンと真下に下りることができます。
アウェアネスの水位が自然と上がってくるイメージ。
下にくだっていくことで、次元が変わるイメージでしょうか。
すべてがそこから生じるソース(源)のようなところ。自分がこのソースであることを思い出す。
ああ、初めからあるよね、と思い出す。
かと言って何かが変わるわけではないのだけど、私とは人生のドラマが現れている制限を超えた場の側であることを知ることで、そのドラマに巻き込まれにくくなるように思います。