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自我(エゴ)の根本にある欠如感と罪悪感
数日前のブログで私たちの自我の根本には恐れがあると書きました。
私たちが生き延びていくために、サバイバルするために、肉体的な安全と精神的な安全を求めるわけですが、それが危ういと感じるときに出てくるのがニーズです。
もし自分で全部どうにかなると思っていれば生存は守られているので、悩みや苦しみにはならないわけですが、資格を取らなければとか、誰かに守ってほしいとか、状況が変わってほしいなど、自分一人だけじゃ足りないという思い。
自分が欠けていると思い込んでいる所にニーズが生まれます。
このようなニーズがあるということは、自我の根本には欠如感つまり何かが欠損している感情があるということです。
そもそも、自分が分離した個であると思っているということは、全体じゃないので、なにかが足りない自分になっているはずです。
全体から1個のかけらになったということ自体が、もう欠けてる感がある。
オギャーとこの世に生を受けたときから、そのような感覚をもっています。
なので、私たちの自我のベースには恐れとともに欠如感があります。
この不完全な感覚は、何かが良くない、何か変える必要がある、何かを得る必要がある・・・といった衝動を生み出します。
そして、自分の中に足りない部分があるということに対して、私たちは密かに罪悪感を抱きます。
無意識のうちに欠如感をもつことによって、自分は十分ではないとか、私には自分を気持ちよくさせてくれるものが必要だとか。また罪悪感があることによって、自分は良くない、完ぺきになる必要がある、もっと頑張らなければといった衝動が生まれてきます。
自分の心の中にどんな思いや信じ込みがあるでしょうか?どんな感情や感覚がありますか?
分析しようとすると思考の方に行ってしまうので、そっちに行かないでひたすら自分の今の心の状態がどうなっているのかを観察します。あるがままに見るというのは、たとえば庭に植えてある植物の生態がどうなっているか、自然観察するのと同じ態度です。
欠如感や罪悪感というのは、自分は満たされていないという思いではありますが、自分の力を十分に使っていない後ろめたさからくるのかもしれません。
でもそれって、本当は自分に力があることを知っているから・・・。
分離していないところのわたしは知っているのですよね。
本当はなにも欠けていないということを。