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自我(エゴ)は何を恐れているのか

前回、私たちの悩みや苦しみは、自分が「分離した個」(自我)であると信じることに始まると書きました。


身体を持った個としての私、感情や思考を持った個としての私 ←これを自分だと思い込むことで、自我(エゴ)としての私が生まれます。


自我にとって一番大切なこと、それは死なないで生き延びる、生き続けることです。ですから自我にはサバイバルしなければという意識が常につきまといます。サバイバルへの恐れです。


自我は、自分が生き延びるためにどんなことが必要だと感じるでしょうか。身体に意識を向けてちょっと観察してみてください。


自我の恐れは、大きく2つに分けられます。肉体の死と精神の死です。


① 肉体的な必要性
  食べていくこと、収入が十分にあること、保障のある安定した仕事
  有利な条件や利権など
  これらをより多く持てば持つほど肉体のサバイバル感は上がるでしょう。つまり
  安心感がアップする。


② 精神的な必要性
  自分に価値が感じられる、優れている、役に立つ自分であること、   
  周囲に受け入れられている、常識がある、多数派に属している、人気者である


こうやって見ていくと、自我の根っこにある恐怖心のために、自分が本当に望んでいることが何であるかよりも、どうすれば安全に、周囲に嫌われずにやっていけるかということが非常に重要になってくるというのがわかります。空気が読めない変わり者の自分でいないように気をつけるなど、これではのびのびと生きることは難しいですよね。


このように自我はいつも安心・安全を求めてサバイバル活動をしています。


やれやれ^^;


私たちの多くは、日常の生活において自分が感じる感情や経験、考えや行動といった中身を通じて自分が何者であるかを決めてしまっています。そしてそこに自分を同一化する。


そうではなくて、中身の存在を可能にしているスペースの方に意識を向けてみる。


自分の本質に目覚めるということ。


非二元の教えは、自分が分離した個であるという幻想(ストーリー)から目覚めることで、すなわち、思考や感情、身体を自分だと思う自我ではなく、それを見ているわたし、気づいているわたし(意識)につながることで心の平和が訪れると教えています。

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