図と地の関係について
上の絵のなかの人は、背景があるから存在するのであって、背景なしには存在できない。
人と背景。図と地の関係。
これと同じで、気づいている意識は背景です。
気づいている経験(意識)というのは、〇〇を経験するというような目的語が必要な経験ではないけれども、気づいている経験というのは、たしかに経験されています。
それ自体に気づいている。
たとえば、あなたが今いる部屋にあるものをすべてリストアップしてください、と言われたとき、テーブル、椅子、ソファー、電球、エアコン、花・・などを上げていくでしょう。
その中に、空間(スペース)をあげる人はほとんどいないでしょう。なぜなら、空間はテーブルや椅子と同じような見え方をしないからです。
とはいえ、空間は経験されていないとは言えないはずです。
空間と同じように、気づいている意識は、〇〇に気づくというように目的物をとりません。
それ自身気づいている。
このため、たいてい見落とされてしまいます。
私たちの多くは、経験の中身、すなわち思考やイメージ、感情、感覚などそこにばかり関心が行って、それらの経験の中身に気づいている側(スペース)に注意を向けることをほとんどしません。
上の絵において、人が存在するのは、それを影で支えている余白があるからです。
図が存在するためには、必ず地が存在している。
地は、図が存在していることを知っています。
私たちは思考や感情、感覚などを自分だと勘違いして、その背後にある気づいている意識のほうが私たちの本質だということを忘れてしまっています。