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私たちは言葉よりもイメージを投影している

私たちはありのままをみていなくて、自分の解釈を通して、自分自身、他者、出来事を見ている。


この解釈のことを投影といいます。


なので、その解釈がポジティブであれば、ポジティブなものを見ることになるし、ネガティブであれば、ネガティブなものを見ることになります。


たとえば、子どもの頃にお父さんが、顔を真っ赤にしてよく大声で怒鳴ってたのがとても怖かったとします。大人の男性は怖いというそのとき感じた感情と共に赤鬼のイメージを作って、権威ある大人の男性は怖いと解釈したとします。


大人になって、職場の男性の上司に、お父さんに作ったイメージを投影した場合、もうその上司をありのままに見ていなくて、その上司は怖い赤鬼になってしまっています。最初からなんとなくこの人苦手だ〜となります。


そしてその上司が怒鳴った日には、ものすごく反応して、ほらやっぱり、上司が怒鳴るから怖いんだ、という理屈が自分の中で成り立つ。


自分がそういう現実を作っているわけではないのだけど、そう見てしまうから、そうなるという話です。


もし投影が外れれば、その見ていたものは見なくなるということでもあります。


もともと現実そのものはあるがままとしてあるわけです。現象としてある。


このように、私たちの多くは自分の解釈の中に生きている。


夢をみてていると表現されるのも、ここですね。


(ちなみに、セッションでは、あなたの見ているものは間違っていますよ、というような言い方はしません。理屈を理屈で変えるなんて無理なことですから。本当はどうなっているか一緒に見てみましょう、と見に行くんです。)


そうしてもう一つ。投影するとき、私たちは言葉よりもイメージを投影しています。


例えば、コロナが終わったら、海外旅行に行きたいな、と思ったとき、その行きたい場所の風景がパッと思い浮かんでいませんか。そこでくつろいでる自分とか。


コロナが終わったら、好きなバンドのライブに行きたいな、と思ったとき、そのライブ会場にいる自分が思い浮かびませんか。


「〇〇に行きたい」という言葉ではなく、絵が浮かんでますよね。


つまり投影というとき、それは私たちの中にメンタルイメージ(像)があって、その像を通して、その像をかぶせて、その像を投げかけて、外部の人や状況を見ているわけです。


ということは、自分はどういう像を内部にもっているのか、これを知っていくことはとても興味深いことだということになりそうです。

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