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創作をしていた頃の話
10数年前、もともと「愛くるしい」見た目に生まれ、うまくいったことがあるからそれを戦略として続けてきたのかな、みたいな人に出会ったこともある。名を仮にAとしよう。見た目に反して彼女の人生は「壮絶」ではあった。それゆえ、彼女は「稼ぎ」にこだわった。私はのほほんと生きてきたせいか、金にならない「アート」にめちゃくちゃこだわり。最初は仲が良かったのにだんだん距離ができてきた。その後一緒の仕事をしたときに、いちゃもんをAにつけられ、謝罪したくなかった私はAと決裂した。
自分は世間知らずの甘ちゃんだったのだろう。おそらく。あるいは勝手に理想を持たれてその通りの行動をしなかったから、ひどく傷つけられるようなことを言われた可能性もある。親の介護を挟んで起こった出来事なので、そもそも自分自身が不安定だったので、なにがしか彼女の勘に触る言動があったのかもしれない。
これをどう考えればいいのか。
大アルカナを一枚引いてみよう。
「隠者」である。その人にも自分の今までの知識の中にも回答はない。
人と距離を置き、一人で探求せよ。あるいは、ティファレトからケセドにあがるパスでもあり。乙女座に対応する。乙女座は他者を意識するサインである。自分自身を見つめなおすことが必要。過去の自分の選択から始めるしかない。あの時のうまくいかなかった自分も自分ですよ。
はい。
そうしました。間違ってなかったんだね。
それなりにコミュニティそのものにはなじんでいたので、離れるのは痛みを伴った。Aは特にその頃力をもっていたので、機嫌を損ねる=コミュニテイにはいられなくなるくらいの勢いであった。嫌ならやめるというのは一番当たり前の選択肢である。また何にしろ組織に所属しなければ、コミュニテイにいなければできない、というものはない。ライセンスを発行しているような習い事でも、そのライセンスを使わなければどこでもできる。それはわかっていたが、やめるにはかなりのパワーがいった。
ただAの言動がトリガーになり、私は何万もかけて取った団体の資格を放棄した。もったいなかったと思うことはあるが、適応障害を起こしかけていたのでやめて正解だったと今でも思う。
書き始めてみると自分の受動性が気になる内容となった。勝手にAやコミュニティを理想化して勝手にがっかりしたのは自分ではないか。とも反省する。
そしてこれはヴェールの下の物語である。
何かを得るために始めたレッスンなのに、人間関係にうんざりしてやめる。
謎の人のターゲットにされてしまう。
自分があの頃生命の木を知っていたらなあと思う。ならば団体の中の序列、売れる売れない、あるいはアートであるかそうでないかなどにとらわれず、独自の表現を磨けたかもしれない。本当にやりたいことを見つけるために何をすべきかをカードの力を借りてできたのかもしれない。今更そう思っても仕方ないけれども。
今からやり直すには時間が経ちすぎたかもしれないけど、時間ができれば小さい作品などはまた作ろうかなとぼんやり考える。なので道具がまだ手放せないでいる。
Aのその後については全くわからない。どこかでまた人懐っこく誰かにかかわっているのかもしれないし、そういう生き方はもうやめたのかもしれないが二度と会いたくないなとは思う。すれ違ってもわからないかもしれないけど。
他者を自分の気持ちをあげたり、自分のステータスを上げてくれるための道具としか考えていない人たちというのは確実に存在する。コンビニの女性漫画のキャラかよ、と思うのだがまあいるので致し方ない。
おそらく。その多くはなにがしかの欠損を持っていると思う。自分の中に空いた穴をほかの誰かに依存して埋めようとする。それが習い性になっているのかもしれない。
自分の穴は自分で埋めるしかないんだけど。