雑談にこそ命が宿る。
「雑」っていい響きではありませんが実は雑談こそ面白いと思いませんか?筋書きがない面白さがあります。
商談をするとき、いきなり本題に入って売り込みに成功した人がいるとしたらお客さんが元々買う気だった時ですよね。たまにはそういうこともあるかもしれませんがまずは雑談で距離を縮めてから、というのが常套手段ではないでしょうか。このように雑談には人と人との垣根を低くする働きがあるようです。
映画を観る、打ち合わせをする、食事をする、今はこのような機会がめっきり減りましたが待ち合わせの時間に遅れることはありませんか?ギリギリ間に合ったとしましょう。よかった!遅れなかった、と思うでしょう。でもほかの人たちが先に来ていたらあなたを待つ間に雑談をして有意義な時間を過こしていたことは容易に想像できます。本来の目的だけではなく少し早めに行って余裕を持つと生きたコミュニケーションができるのです。
ごきげんママ♡の学生時代はまだまだのんびりしたもので、授業中もクラスメイトの誰かしらがしょっちゅう先生に雑談をおねだりしていました。授業そのものより雑談の内容をよく覚えています。今、国語の個人指導をしていますが、生徒との関係づくりにも雑談は欠かせません。
雑草が生命力強くさまざまな種類があるように雑談もまた生き生きとして題材が尽きない共通点があるように感じます。これからますます使えるようになる人工知能AIは雑談が最も苦手と言われてるのが何よりの証拠、雑談にこそ人間らしい知恵や頭の回転が必要です。ですから、雑談にこそ命が宿っていると言えます。
そしてオンライン授業やテレワークの難しさは、そのあたりにあると考えられます。すなわち人間関係の構築のしにくさ、潤滑油のようなものの欠如、無機質な機械を通すことによるぎこちなさ…なかなか人となりを伝えることは難しく体温も感じられずましてや心も通い合いません。
昨日は久しぶりに友人たちとビデオ通話を楽しみました。時々グループチャットをしていましたが活字よりは声の方が、声だけよりはビデオ通話の方がより親しみが感じられます。わざわざ書くほどでもないような近況報告やコロナ対策、小さな幸せや大きな幸せのことなどあっという間に二時間くらいも話して楽しいひと時でした。
人と話すことが減ると話すのが苦手になったりおっくうになったり語彙が出てこなくなるという人もいます。要件ばかりでは味気ない。といっても今は電車の中で会話をすることはNGですし、もともと授業参観などでお母さん同士ペチャクチャおしゃべりするのはご法度です。
TPOさえ弁えれば大した中身はなくても、特に建設的な話ではなくても、リラックスしておしゃべりすることに心の健康において大変な効用があるように思います。今はそのような機会さえ奪われがちです。そのことによる弊害を軽く見ない方がいいかもしれません。コロナ対策をしつつ人間らしい生活を送りたいですね。
「雑」感を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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